◆Akira-Side◆ 部屋に響いた呼び出し音に目を覚まし、ぼやけた頭のまま電話に出る。 『塔矢!?おい、まだ進藤の部屋にいるのかよ、休ませろっていったのに・・・ そろそろ時間だぞ、進藤、大丈夫なのかよ?』 そうだった、ここはホテルの進藤の部屋だった。いつの間にか眠ってしまったようだ。電話の横の時計を見ると、韓国戦の三十分前だった。 ボクの横で、進藤はまだ眠っていた。 和谷さんへ適当に答えて電話を切り、 「進藤、進藤」 と慌てて体を揺すると、「ん・・・・・・」と眉を寄せて彼が少し腫れてしまっている目を開ける。 「時間だ、起きろ、韓国戦が始まる。大丈夫か?」 進藤は寝ぼけているのか状況が飲み込めない顔をしていたが、やがて慌てて飛び起きる。 「何時!?」 「あと三十分ある。顔を洗って、着替えて支度しろ、ボクは倉田さんのところに行ってくるから」 メンバー表をかえてもらわなければ。間に合うだろうか。 「・・・っ塔矢!」 ベッドから抜け出したところで腕を引っ張られる。 「・・・塔矢、あのな、オレ・・・ 佐為のこと、忘れることなんか出来ないんだ。 オレの中では一生ずっと大切なヤツなんだ。 だから、きっと、この先もそのことでオマエを傷付けるかもしれない。 それに・・・オレ・・・やっぱり今はオマエの隣りにいることを 皆に認めてもらえる自信ないんだ。 まだオレは弱くて、いろんなことが不安で、オマエに迷惑かけるけど、 でも・・・それでも・・・オレ・・・オマエと一緒にいたい。 ワガママだって、メチャメチャ言ってるってわかってるよ。 でも・・・オレがオマエみたいに『覚悟』を決められる日まで、オレを、待ってて」 まだ少し腫れぼったい目でボクを見つめる彼がボクを掴む手に、ボクは自分の手を重ねた。 「・・・ごめん、ボクは待ってなんかいられない」 ピクリと震えた彼の手を握り締める。 「・・・ボクは、前に進むのをやめない。 ボクにはただ待っていることなんて出来ない。 知ってる?キミの足音は昔からものすごく早いんだ。 ぼーっと待ってたらあっと言う間に追い越されてしまうよ。 ボクは前へ進んでいく。キミとの未来のために。 だから、『追って来い』」 口にしてから、ああ、あの時と同じ言葉だ、と思った。 彼の目もハッとしたように開かれた。 「・・・そうだったな。『ずっとこの道を歩く』ってオレ、オマエに言ったよな。 ごめん、ちょっと立ち止まってた。今から、走って追いかける」 そう言って彼は、あの時のように輝きを取り戻した瞳で笑った。 「倉田さん!」 すでに部屋を出てしまっていた倉田さんを探して対局が行われるホールへ行くと、倉田さんと他の三人も来ていた。 「すみません倉田さん!あの、韓国戦のオーダーなんですが」 「あ、オマエ副将な」 「進藤を大将に・・・って・・・え?ボクが副将?大将は?」 「ぜ〜ったいオマエはそう言ってくると思ったんだよ〜。 そんで絶対言い出したら引かないだろうし。メンバー表書き直すのめんどくさいし。 アイツ体調大丈夫なんだな?」 「少し眠れたので大丈夫です。それで・・あの・・・進藤が大将、ですね?」 「まったくも〜オマエたちのワガママもこれっきりだからな〜」 「そうだぞ塔矢。批難されるのはオーダー決める倉田さんなんだからな」 呆れ顔の倉田さんの代わりにボクを嗜める和谷さん。 どうやら、他の皆はすでにオーダーを聞いているらしい。 「ありがとうございます・・・!」 「わかったらさっさと着替えてこい」 「え?」 「なんでそんなシワシワのスーツなんだ?」 和谷さんに言われて初めて自分が酷い姿なことに気付いた。隣にいた社が 「寝起き頭の塔矢アキラなんて初めて見たわ。オマエまで一緒に寝とったんか?」 と笑った。 「っすみません、すぐ着替えてきます」 慌ててボクは部屋に戻る。 2着しか持ってきてないのにまいったな、3日連続で同じスーツ着るのもな・・・というか午前中の対局から着替えているのもハタから見ればすでにおかしいか・・・まぁ仕方ない、後でアイロンを借りよう・・・と考えながら着替えていた時、スーツのポケットに何か固いものが入っているのに気付いた。 「あ」 すっかり忘れていた。進藤に返さなければ。 いつからか、進藤が対局の時に持つようになったもの。 彼のイメージからはかけ離れている気がするアイテムだが、かといってカッコつけで持っているようにも見えない。 ふと、これもsaiの影響なんだろうかと思い、その思いつきにため息をつく。 気にしては駄目だ。 いや、違うか・・・気にせず、進藤に聞けるようにならなければ。 いろいろなことを。 そんなことを考えているうちにも刻々と時間が迫っているのに気付き、ボクはそれを握り締めて会場へと急いだ。 メンバー表を渡された係員は、驚いた顔で倉田さんを見てから、対局の机に名前のプレートを置いていく。 大将 進藤ヒカル。 副将 塔矢アキラ。 それに気付いたギャラリーがざわめき出した。 後に続くように韓国のプレートをもう一人の係員が置いていく。 「・・・え・・・!?」 置かれていく韓国選手のプレートに、会場のざわめきが増す。 「・・・大将・・・洪 秀英・・・!?」 思わず声を上げると、 「あちゃーやられたな〜作戦が裏目に出たか〜」 と隣りで倉田さんが顔をしかめた。 副将 高永夏。なぜ、なぜだ?なぜ韓国はこんなオーダーに?! 呆然としていると、 『おやおや、まさか去年と同じオーダーでくるとはね』 笑いを含んだ口調で言う韓国語が後ろで聞こえた。 振り向くと、相変わらずの白いスーツ姿でボクを見下ろして笑う高永夏がいた。 『・・・このオーダーは貴方の策略ですか』 『人聞き悪いこと言うなよ。「策略」はお互い様だろ。 さっきの対局で倒れたヤツを大将に持ってくるとはな。 そんなに進藤はオレと対局したかったのか?残念だったな。 ま、こっちは秀英が進藤と対局したがってたから万々歳だけどな』 『・・・貴方も進藤と対局したかったのでは?』 『言っただろ、オレは強いヤツと対局したい。 相手としては塔矢アキラの方が魅力的だ』 韓国若手NO.1棋士にそう言われて、嬉しくないと言えば嘘になる。 高永夏と戦えるということに、心踊る自分がいることもわかっている。 けれど。 「・・・高永夏が・・・副将・・・」 背後で呟かれた言葉に振り向けば、青ざめた顔の進藤がいた。 『ふん・・・我まま姫の登場か。泣きはらした後みたいな目をして。 大将にしてと泣いて塔矢にすがったか?』 鼻で笑う高永夏に思わず 『違う!ボクが進藤と貴方の対局が見たいと望んだんだ!』 『オマエもオマエだ、なぜそんなに進藤を庇う? 進藤が興味深い棋士だということは認めてやってもいい。 でも成績だけで見ればオマエの方が上だろう? 口ではライバルだと言いながら、甘やかして優越感にでも浸っているのか? どうでもいいがオレをそんな茶番に巻き込まないでくれないか?』 この男は。 わざと煽るような言葉で相手をからかう性癖があるのだろう。 でも、そんな彼の言葉に核心を突かれたような強い痛みを感じた。 ・・・ボクは・・・。 「塔矢・・・高永夏はなんて言ってるんだ?」 不意に進藤がボクの腕を掴んで問う。 「なんか・・・すんげェ嫌な事言われてる気がすんだけど」 その推察は正しかったけれど、通訳なんてしてあげられるわけがない。 「・・・すまない、進藤、ボクがキミに大将をやれって言ったばっかりに・・・」 「別にオマエのせいじゃねェよ。それよりコイツ、なんて言ってるんだ?」 「塔矢アキラは進藤ヒカルを甘やかしすぎだと言っているんだ」 横から飛び込んできた言葉に、進藤の顔が強張る。 「進藤、オマエの対局相手はボクだ!不服だなんて言わせないぞ!」 流暢な日本語で間に入って来たのは、洪秀英だった。 |
◆Hikaru-Side◆ 「ボクだってこの1年、今度こそオマエを倒すために、必死に勉強してきたんだ! 永夏にばかり気を取られてるようじゃ、ボクにだって勝てないぞ!」 秀英に真正面から真っ直ぐな目で挑まれて。 オレは、その迫力に押されながらも、なんだか懐かしいような気持ちになった。 『オレの幻影なんか追ってると ホントのオレにいつか足元すくわれるぞ!』 オレの前から去ろうとした塔矢に言った言葉。 昔のオレは、なんて無知で、無謀で・・・そして、強かったんだろう。 棋力が、じゃない。自分を信じて真っ直ぐ進んで行ける強さがあった。 いつ失ってしまったんだろう。 いつからこんなに臆病になったんだろう。 オレを見つめる秀英の目は真っ直ぐに輝いていて、ああ、オレも、あの時こんな目で塔矢を見ていたんだろうかと思った。 「・・・秀英ってすごいなぁ」 「え?」 オレの言葉にきょとんとする。ホントに、すごいよ、オレのために日本語覚えたり、何度も挑んできたり。それが、すごく嬉しいと思えて。 「よーし!望むところだ秀英!ぜ〜〜ったいオレが勝つ!」 「負けないよ!」 そのままの勢いで二人で対局するテーブルへ歩きかけた時、「進藤!」と塔矢に呼び止められる。 「これを・・・」 塔矢はスーツのポケットから何かを取り出す。 「・・・あれ?なんで塔矢が?」 「さっき、倒れた時に落としていったんだよ。すまない、渡すのを忘れていた」 それは、オレの扇子だった。 オレに向かって、差し出される扇子。 その流れるような仕草に、また、アイツを思い出したけど、不思議ともう罪悪感はなかった。 「・・・アイツがいなくなった後、初めて夢に出てきてくれた時にさ、 そうやってオレに扇子を差し出したんだ。」 「え?」 「アイツの手から、扇子を受け取って、夢から覚めた」 「進藤・・・・・」 塔矢の手から、扇子を受け取る。 「・・・ああそうか、今日、5月5日だったな」 「・・・?」 「アイツがいなくなってから、今日でちょうど2年だ」 長いような、短いような。 アイツを失ってからの日々でオレが得たもの。 その大切なものを、あらためて受け取った、そんな気がした。 「・・・今日、こうしてオマエからこれを受け取ることも、意味があることかもしれないな」 軽く開いて、パチンッと閉じる、その小気味良い音が耳に響く。 「高永夏に、負けるなよ」 「・・・キミも、勝ってこい」 「今度こそオマエに『ボクの名前は洪秀英だ』って言ってやるつもりだったのに・・・」 「それなんだけどさァ、オレ、名前なんてとっくに知ってるんだけど・・・」 「そういう問題じゃない!」 ドンッと叩いたテーブルの上で、食器がカチャンと音を立てた。 ホテルのレストラン、周りの客の視線がイタイ。 「ま、まァ、怒るなって。なァ、でもなんで日本に来てんのに 和食じゃなくてイタリアンなの?」 「別に和食はおじさんの家でも食べられる。 ボクは韓国より日本で食べるイタリアンやフレンチが好きなんだ」 そう言って器用にフォークでパスタを巻いている。 海老のなんとかクリームパスタとかってウェイターが説明していったけど、どうせ説明するなら聞いたことない「なんとか」って横文字の詳細を教えてくれればいいのにっていつも思う。なーんて、コース料理なんて滅多に食べないけど。 「あ、オレ、韓国で焼肉食ってみたいんだ〜〜!」 「進藤も今度韓国に来ればいい。碁の勉強の良い刺激になるよ」 「・・・まぁなぁ・・・今年も日本は韓国に負けちゃったからなぁ」 「・・・結果的にはそうだけど、まさか、永夏が負けるとは思わなかった」 高永夏VS塔矢アキラ。 この大会で一番の注目だった対局は、塔矢が制した。 秀英との対局に勝利したオレは、急いで塔矢たちが打つ席へと移動した。 盤面は終盤、一瞬の気も抜けない緊迫した状況が繰り広げられていた。 それから終局までの道程を、オレは、塔矢のそばでずっと見続けた。 塔矢が打つ一手が、オレと同じ時は、高永夏相手にまるで自分が打っているような気がしたし、思いもよらない手を打った時は、自分が高永夏になったような気持ちで塔矢の石の意味に意識を廻らせた。 最後に塔矢が体の奥底から痺れるような一手を放った。 オレが思いつかなかったその手は、高永夏に致命傷を与えて、数手の後に高永夏は投了した。 高永夏が負けた。 それが自分がしたことじゃなくても、やった!って、ザマミロって、喜べるって思ってたのに、投了した高永夏の顔を見ても、オレはそんな気持ちにならなくて、そんなことより、オレは・・・。 「強いね、塔矢アキラ」 「・・・うん」 「進藤のライバル、か」 「・・・なんだよ、オレがライバルって言っちゃ悪いかよ」 「そんな風に言うってことは、自信がないんだ?」 秀英の言葉に過剰に反応したところに追い討ちをかけるように図星を指される。 塔矢が鋭い一手を放つたびに、それは強い痛みとなってオレの心を打った。 塔矢と自分の距離が、どんどん遠くなってしまうようで。 「自信があるとかないとか、他人がどう思おうが、そんなの関係ない。 塔矢は、オレのライバルだ」 自信なんて、ない。 でも、塔矢を信じるって、そう、決めたから。 「・・・秀英は?高永夏をライバルだとは思わないのか?」 「・・・ボクは、永夏をライバルだと思ったことはない。 永夏を尊敬してるし、憧れてる。身近だけど、特別な存在なんだ。 他人からは、そこまで思うほどボクと永夏の力に差があるわけではないと 言ってもらえることもあるけど、でも、ライバルって思うのとは違う」 そこまで言って、秀英はオレを見つめる。 「ボクは、進藤をずっとライバルだと思って頑張ってきた。 でも、今年も勝てなかった。一度も、勝てない。 進藤がライバルだと言う塔矢アキラは、永夏にも勝つほど強いし、 そんな塔矢アキラや永夏をライバルと定めている進藤にとって、 ボクはもう、ライバルとは認められないかもしれないけど、 ・・・なのに、なんでだろう、今日、進藤と打って、永夏のように強いって感じたのに、 そんなオマエのライバルとして認められたいと思うし、 そうなることをあきらめる気にもなれない。 不思議だよ。永夏と同じくらい強いと思うのに、 ボクの闘争心をかきたてるのはいつだって進藤、オマエなんだ」 その真っ直ぐな瞳に、オレは体の奥底から震えが起こるのを感じた。 ああ、そうなんだ、秀英は、オレに似てる。 秀英にとっての永夏。 秀英にとってのオレ。 それは、 オレのとっての佐為。 オレにとっての塔矢。 「今日のオーダー、ボクが大将になったのだって・・・永夏は本当は 進藤と打ちたかったんだと思うよ」 「・・・そんなこたァねェだろ」 オレの言葉に秀英は小さく首を振る。 「・・・進藤だってボクじゃなく永夏と対局したかったんだろうけど・・・」 「・・・秀英、オレにとっても秀英は特別な相手だよ」 「え?」 「初めて秀英と打ったあの一局・・・あの碁が、初めてオレが、オレの、 オレ自身の力を周りに認めてもらえた碁なんだ。 一生忘れない、オレにとって、特別で、大切な対局だよ」 『オマエノ 名前ダヨ!YOUR NAME!』 佐為ではなく、オレの名を。 秀英は、オレの中の佐為の面影なんか知ることもなく、オレ自身を求めてくれてる。 「情けないこと言ってんじゃねェよ。絶対、ずっと、オレを、追って来い。 オレの碁を見つめて、オレに挑み続けろ。 オレは、秀英にそうさせるだけの価値がある、オレの碁を、打ち続けたい」 「進藤・・・・・・」 「でもそっか〜高永夏ぐらい強かったか?秀英がそういうなら間違いないな!」 「まぁ、でもまだまだいざとなったら永夏の方が上だろうけどね」 「なんでだよ!高永夏なんか塔矢には負けたじゃん!」 「塔矢アキラはすごい打ち手だよ。碁だけじゃなくて人としてもちゃんとしてるし。 対局中に倒れたり、ふられたぐらいで調子崩したりする進藤とは大違いだ。」 「は?ふられた?」 「?オマエがふられたショックで体調崩したって話題になってるぞ」 「オレが!?なんで!?誰に?!」 「チェン・ツァイリンに」 「〜〜〜〜はぁ!?なんだそれ!?」 「違うのか?」 「違う!」 次に机を叩くハメになったのはオレ。またしても、周りの客の冷たい視線を感じて我にかえる。 「・・・とにかく、体調が悪くなった原因は別のことだし、それももう解決したよ」 「それなら明日の台湾戦、チェン・ツァイリンと当たっても負けるなよ。 ライバルと思っている男が情けなく負ける様を見るのなんか一度で充分だ」 「・・・もう倒れねェよ。明日・・・アイツと当たるかな?アイツ、副将だっけ?」 「なんだ、ホントに関心ないんだ。韓国戦では三将だったけど、 中国戦では副将だった。台湾は毎回オーダーをかえてるみたいだから わからないけど、ボクのチームの三将は負けたよ。すごく強い」 「・・・そう」 「あの時、進藤、「サイ」ってチェン・ツァイリンを呼んでただろう? ネット碁の、saiのことなのか?」 不意にそんなことを言われて、思わず顔が強張る。 「・・・な・・・んの話?」 「いや、ボクはよく知らないんだけど、永夏がそんな話してたから。そうなのか?」 「関係ないよ」 「ふーん。永夏は進藤がsaiの知り合いなら会わせてもらいたいって言ってたけど。 そんなにすごい碁打ちなのか?」 高永夏までも。 皆が、今でも、佐為を求めてる。 オレが、皆から奪った、佐為を。 男二人で食べるには、やたらと綺麗に飾られたデザートまでたいらげて店を出る。 よく考えると昨日からろくに食べてなかったから、いきなりこんなに食べてしまって大丈夫か今さらちょっと心配になった。 「なぁ、ホントにおごりでいいの?」 「今回だけだ。来年はオマエにおごらせ・・・」 秀英が言葉を止めて見た先に、塔矢と、アイツが、いた。 塔矢と佐為が、オレの知らないところで楽しそうに話している。 そんな気がしてしまって、それが哀しくて、情けなくなった。 「・・・あ・・・進藤」 一瞬、バツが悪そうに隣りを見た塔矢に、内心ムカッとする。 「二人で食事?高永夏は別だったのかい?」 秀英に向けて営業スマイルを取り戻した塔矢が問う。 「永夏は日本の雑誌記者たちに連れて行かれたよ。 韓流とかなんとか日本で流行ってるんだろ? 永夏って韓国のアイドル誌に出てたりするし」 「へえ、そうなんだ」 「そっちも二人で食事?」 「いや、ボクの父や台湾の囲碁関係者の方と一緒だったんだけど、 ボクたちは明日対局があるから先にお暇してきた」 塔矢がにこやかに秀英と話す横で、佐為にそっくりな顔がオレを見つめている。 目を逸らしたいけど、逸らすことが出来ない。 何度見ても似てる。 笑顔を見せて欲しいって、思った。 オレを見て、笑顔で「ヒカル」って呼んでほしかった。 でも、佐為はこんな目でオレを見たりしないこともわかってた。 佐為じゃない。 わかっているのに。 「・・・そんなに似てるのですか?」 不意に動いた唇から、佐為じゃない声が出てきて、オレは我にかえる。 「私が、貴方の大切な人に似ているそうですね」 『大切な人』 塔矢が、そう、説明したのか。 「でも私は、その人の代わりにはなれませんよ」 「チェンさん」 塔矢が止めに入ったけど、そのまま話し続ける。 オレの目を、真っ直ぐに見つめながら。 「・・・そうだな。誰も、アイツの代わりにはならない」 どんなに顔が似ていても。 ずっとそばにいてくれていても。 誰も、代わりになんかならないんだ。 「嫌な思いさせて今までごめんな」 頭を下げて顔をあげると、戸惑ったような顔をされた。 オロオロしてる時の佐為に似てる、そう思ったら、口元が緩みそうになって、誤魔化す為に 「なぁ、明日、副将?」 と尋ねた。 「貴方は副将ですか?」 「オレと打つのは嫌?」 「・・・いいえ。謝ってはもらいましたが、碁で勝ってすっきりしたいですから」 そう言って負けん気の強い目を向けられる。 そういうところも似てる。 中国のメンバーに和谷にそっくりなヤツがいるって皆が大笑いしてた。 そんな風に、「似てるな」って、ただ驚いて、笑って、それだけの気持ちでコイツと向かい合いたいって思った。 佐為の面影を求めるんじゃないくて、 向かい合いたい。 そう、塔矢とも。 「負けねェよ」 |
◆Akira-Side◆ そう言って、進藤は笑顔を見せた。 ドキッとするほど綺麗で、隣りでチェンが息を飲む音が聴こえた。 「じゃあ、また明日。秀英、今日はありがとな」 そう言って背を向けて歩き出す。 ボクは二人に挨拶をしてから慌てて彼を追いかけた。 エレベーターの中で彼は無言で、なんとなくボクも話しかけられなくて、そのまま部屋の前まで来てしまった。 進藤が鍵を開けている横で立っていると、 「何?部屋来るの?オレ、風呂入りたいんだけど」 と問われて、 「あ、うん、すまない、その・・・ちょっと話をしたかったけど・・・ 明日に備えてゆっくり寝た方がいいよね。おやすみ」 そう答えて引き下がった。 何を話したいのかもわからず、引き止めてしまっていた。 でも、進藤の体調を考えれば、このまま休んだほうがいい。 ボクはポケットからカードキーを取り出して、進藤の隣りの自分の部屋のドアを開ける。 と、その手からカードキーが取りあげられた。 「オマエも風呂入るんだろ?オレの方が早くあがるだろーから オマエの部屋で待ってる。入っていいだろ?」 「・・・体調は、平気か?」 「なんだよ、そんな夜更かしさせる気かよ」 「い、いや、そんなつもりはないけど」 他意などない顔で言われた言葉なのに思わず戸惑う。 「平気だよ。メシも腹いっぱい食えたし。じゃ、後でな」 そう言ってボクの返事は聞かずに自分の部屋へ入ってしまった。 言葉通りボクが風呂から上がるより早く「勝手に入るぜ〜、あ、急がなくていいからな」と部屋に入って来ていた進藤は、電気とテレビが付いた部屋の中、ボクのベッドで寝てしまっていた。 やはり疲れているのだろう。 寝支度をしてから、一瞬、進藤の部屋の鍵を探してそちらで寝ようかとも迷ったが、彼が寝ている位置がボクが寝る分のスペースを空けているように見えて、結局小さな灯りだけを付けた状態にしてベッドに潜り込んだ。 今日の洪秀英との対局は良い碁だった。 洪秀英もまた、進藤の碁に魅せられた一人だ。 彼だけではない、これから先も、進藤と打った人間は少なからず魅せられていくことになるだろう。 そう、きっと、チェン・ツァイリンも。 もしも、彼女が進藤に興味を持ってしまったら。 saiに似ていて、綺麗で、碁が強くて。 そんな人がもし進藤を好きになったりしたら。 いや、彼女だけじゃない。これからはますます進藤も注目される人間になっていくだろう。 手を伸ばして頬に触れた。 こうして触れているのに。 誰よりもそばにいるのに。 いつからだろう、彼を抱きたいと思うようになったのは。 触れ合うだけでは満足出来なくて、確かな証や繋がりが欲しいと思ってしまう。 そんなことで繋がっても、きっと、結局、満たされないのかもしれないけれど。 洪秀英やチェン・ツァイリン、そして高永夏。 ボク以外の人を見るなと、言ってしまいたくなる。 ベッドは彼の温もりですでに温まっているけれど、ボクはさらなる温もりを求めて彼に身を寄せる。 いつもと違うシャンプーの香りがした。 唇を重ねた。 今はまだ、ボクしか知らないであろう柔らかさを啄ばむ。 これから先も、ボクだけのものにしたい。 キミがこれから知る全ても、ボクだけにして欲しい。 胸の奥に、乱暴な気持ちが芽生えてくる。 ボクのものにしたいと、願ってしまう。 彼の体に腕をまわしかけた時、 「・・・コラ、寝込み襲ってんじゃねェよ」 と、触れていた唇が動いた。 驚いて手を引っ込める。 薄明かりの中で笑う顔が見えた。 「・・・寝てるキミが悪いよ」 「・・・塔矢って実はけっこームッツリだよな」 「・・・・・・表現は気に入らないが、キミに対して、という点では否定しない」 「否定しろよ〜」 情けない声で嘆いた進藤は、それでも笑いながらボクの頬にそっと手を伸ばしてきた。 「・・・話って何?」 問いながらボクの頬を滑る彼の手に、自分の手を重ねた。 「・・・話っていうか・・・キミと一緒にいたかっただけかも」 そう答えると、彼はボクの胸に額を押し付けてきた。 「・・・オレも、そうかも」 言われた言葉に、胸がキュッとなって、ボクは、堪えきれずに彼の肩を押し、仰向けにさせて覆いかぶさるようにしてキスをした。 彼の腕がボクの首に絡まってくる。 「・・・怖かったんだ」 触れた唇の隙間から呟かれて、目を開ける。 「高永夏と打ってるオマエは・・・すっごく遠い気がして・・・ でもオマエ、ここに、いるな」 「進藤・・・」 「でも、そうじゃないよな、こんなことで近くにいるって思えても、ダメなんだよな。 オマエがそばにいることがあたりまえだって思えるくらいオレは強く」 「進藤」 名を呼んで言葉を遮る。驚いた目で見つめ返してくる彼から思わず目を逸らす。 「塔矢・・・?」 「・・・ダメだよ」 「え・・・?」 「・・・ダメなんだよ・・・高永夏に勝っても、どんなに強くなっても、この不安は、 この胸の痛みは、きっと、ずっと、続くんだ」 彼が息を飲み込んで動く喉元が目に入る。 まだ細く、頼りないこの首に手をかけて、彼がこの世界からいなくなっても、この苦しみは消えることはない。 「キミがこだわる高永夏に嫉妬してる。仲良く食事なんて行って洪秀英はズルイ。 あんな風にチェン・ツァイリンに微笑むのはやめてくれ」 「塔・・」 「高永夏に勝てたって、ボクの心なんかこんな気持ちでいっぱいのままだよ! キミがそばにいてくれる自信なんてない、どんなに強くなったって、 キミを手に入れた気になんかなれるはずない! この先もずっと、キミが強い打ち手に会うたびに、女性と話すたびに、 醜い感情がボクの心をいっぱいにするんだ」 あらいざらいぶちまけて、目頭が熱くなっていくのを、固く瞼を閉じて堪える。 「・・・ずっと・・・そんな風に苦しかった?」 「・・・そうだよ、情けないと思ったか?」 首に絡められていた腕がはずされて、ボクの目尻を指が滑る。 「情けねェよ。オレなんかに振り回されてオタオタしてる塔矢アキラなんて。 オマエはいつだって自信満々で真っ直ぐで強いヤツだったのに。 そんなオマエの強さにオレは引き寄せられてきたのに」 そんな言葉を口にしながら、彼はボクの唇を指で撫でていく。 「ホント、笑っちゃうよな。情けなくて、カッコ悪いよ。 皆が知ったら驚くだろうな。「あの、塔矢アキラが」って。 皆、知らないんだ。 ・・・オレだけが、知ってるんだ」 唇に与えられていた感触が変わった気がして目を開けると、触れていたのは彼の唇。 「・・・オレだけが知ってる。ホントのオマエ。オレだけが」 「進藤・・・」 「・・・もっと、知りたいよ。塔矢、オマエの情けないところも、嫌なところも、 全部知っても、オレは・・・」 引き寄せられて彼の体の上に体重を預ける。 ボクを抱き締めるこの腕の強さも、彼の発する体温も、彼の髪の匂いも、彼の唇の柔らかさも、ボクだけが知っている。 でも、もっと知りたいと思った。もっと知って欲しいと思った。 彼の浴衣の胸元から手を滑り込ませる。 ピクリと一瞬体が強張ったけれど、彼は何も言わなかった。 そのまま彼の素肌に触れ続けた。 手のひらが彼の速くなっていく鼓動を感じる。 首筋を唇で辿ると、押し殺すような吐息が漏れる音が聴こえた。 そのまま降りてあらわになった胸元に吸い付くと、 「ッ・・・バッ、バカ!」 「いたっ」 頭を叩かれた。 |
◆Hikaru-Side◆ 「・・・ったく大人しくしてりゃこのムッツリスケベが!」 「キ、キミも感じてただろ!?」 「か・・・・・・って、塔矢アキラともあろうもんがンなこと言うな!やるな!」 「なんだそれは!ボクだって普通に健康な男子だ! 好きな人とそういう行為だってしたい!」 「わ〜〜!だから、塔矢の口からそんなこと言うな〜!」 なんか、なんか、すっげェ恥ずかしい! 塔矢が、あの塔矢がっ そ、そりゃさ、キスとかはしたけどさ、なんつーかそれはスキンシップっつーか、そういう優しい感じだったのにさ、なんか、こんな熱い目で見られて、触られて、か、感じて、なんて言われたら・・・ヤバイ、なんか、まずい、オレ、今まで深く考えたことなかったけど、塔矢って、もしかして、オレと、その、なんだ、・・・そういうこと、したいのか? 「ってゆーか出来るのか!?」 「は?」 いけね、疑問が大きすぎて思わずそこだけ声に出ちまった。 「出来る?出来るのかって、セッ」 「わぁ〜〜〜!!!言うなバカ!!」 慌てて塔矢の口を手で塞ぐ。 やめてくれ!なんか、心臓に悪い! 抑えていた口からため息が漏れて、そのくすぐったさに手をどける。 「・・・キミって・・・なんていうか・・・意外と・・・」 「言うな!言いたいことはわかるから言うな!」 耳を塞いで塔矢に背を向ける。なんで、なんでコイツ平気なんだよっ!関心も縁もなさそうな顔してやがるくせにっ どーせオレはこういう話題に免疫ねェよっ だって、だって・・・その・・・なんだ、そういうのに一番興味持ち始める『お年頃』の時はアイツがいつもそばにいたから・・・変な本とかビデオとか見るわけにもいかなかったし、彼女だってもちろんいないし、そういう生活ずっとしてたから、今さら、なんか・・・あらためて関心持つ機会なかったっつーか・・・。 「進藤・・・」 「うわあぁぁ〜〜〜〜!!!」 背後から抱きしめられそうになって、耐えられずに起き上がって、逃げた。 「進藤っ!ご、ごめん、その、急ぎすぎた、悪かった」 慌てて布団から飛び出した塔矢に腕を掴まれる。 「お、お、オレこそ・・・悪ィ。ちょっと・・・驚いちまった」 「・・・進藤」 不意に低い声で名を呼ばれて、怖いくらいに真剣な眼差しを向けられた。 「・・・・・・ごめん、でも、考えてしまうんだ。 ・・・確かな証が欲しいって。 そんなことしたって全てが満たされるわけじゃないってことも わかってる。でも・・・」 そこまで言って、その視線ははずれた。 うわぁ・・・なんか、すっごいへこませちゃったみたい。 「・・・あの・・・さ、そんな顔すんなよ」 「・・・え?」 両頬を手のひらで挟んで、コツンと額を重ねた。 「確かに逃げたけどさァ、驚いたからで嫌だからじゃねェってば。 そんな情けねェ顔すんなよ〜。 オレ、オマエのいつでも自信満々っつーか揺るがないところ好きなの。 オレに対してもそういう風でいろよな。 ・・・っつーか、オマエが自信満々で安心してられるようになるから、オレも」 「進藤・・・」 「あ!だからって今日はダメだぞ!そんな突然、ダ、ダメだからな! ったく明日も大事な対局あるだろが!」 「・・・じゃあ、明後日ならいいの?」 真面目な顔でそんなこと言われて、自分の顔が固まったのがわかった。 「い、嫌じゃないとは言ったけど、いいとは言ってないぞ! だ、だいたいオレ、そんなこと考えたこともなかったし・・・」 「これからは考えてくれる?」 そう言われて、あらためて気付いた。 そうだ、考えなきゃいけない。 ただ気持ちの流れるままでいちゃダメなんだ。 塔矢のこと。佐為のこと。 今まで目を逸らしていたいろんなこと。 「・・・・・・考えるよ。ちゃんと、全部、な」 置かれたプレートを見て、ほっと息をついた。 副将 進藤ヒカル対チェン・ツァイリン。 遠くにいた当の相手を見ると、一瞬目があったけど逸らされた。 「良かったな」 塔矢の言葉に頷いてはみたものの、本当のところはよくわからなかった。 勝ちたいとか、そういう闘志みたいなものも自分の中で湧き起こってこない気がした。 アイツは佐為じゃない。 それなのに、あの顔を見ていると、苦しいって思う奥で・・・暖かいような、優しいような、そんな気分になってしまう。 佐為には結局一度も勝てなかった。 強くて、強くて、でもその強さが嫌だったことなんか一度もない。 高永夏相手に感じるような負けたくない、倒したい、そんな攻撃的な気持ちで打ったことなんかなかった気がする。 その強さが絶対的だったからこそ、どこかでオレは安心して、佐為の強さを頼っていた気がする。 佐為が強ければ強いほど、自分ももっと強くなれる、その可能性を、高みを感じることが出来た。 チェン・ツァイリンがどんな碁を打つのかあえて知らないでおこうと棋譜は見ていない。 でも、塔矢先生が言っていたように、saiではないんだ。 「昔、ネットでsaiと対局した時」 不意に塔矢の口から出た名前にドキッとして、隣を見る。 「打ちながらキミなんじゃないかと思ったことがある。 今思えばそれはsaiだったんだろうけど・・・。 でも、どんな名前でも、どんな姿でも、打てばわかる。真実はそこにある」 「・・・うん」 本当はまだ、心のどこかで、アイツが佐為だったらいいのにって思ってた。 失ってしまったと、もう、会えないと、思いたくない自分がいて。 そんな気持ちを塔矢に見透かされてる気がした。 そうだ、打てばわかる、わかってしまう。 アイツがやっぱりいないってこと。 真実は、いつだって石の中にあるんだ。 |
◆Akira-Side◆ 昨夜、結局自分の部屋に戻ってしまい、今朝会った時には「いや〜良く寝た、寝すぎた」と、寝付けなかったボクを尻目に、前日とは打って変わってホテルのバイキングの朝食を大量に皿に盛って食べていた進藤は、チェン・ツァイリンが対局相手に決まった時も、拍子抜けするほど落ち着いていた。 ああいう時の進藤は、良い碁を打っているはず。 打ちながらも隣が気になって仕方がなかった。 相手の台湾の大将は、手応えからすると棋譜で見た感じのチェン・ツァイリンの方が強い気がした。それでも集中しきれないこの状態では、油断は禁物だった。 慎重に打ちすぎていていつもより進んでいない自分に比べ、順調に打っていれば終盤に差し掛かったところだろう。 真横にいる進藤の顔はよく見えない。 石を置くチェン・ツァイリンの表情が硬くなっている気がした。 しばらくの後、 投了を告げるチェン・ツァイリンの声が聴こえた。 自分の対局中だということも忘れ、席を立ちそうになってしまい、慌てて思いとどまる。 2人は何かを話していたが、会話の内容までは聞こえなかった。 話し終えて立ち上がった進藤が、ボクを見た。 笑顔を見せた後、口元が動く。 「ありがとう」 と、動いたように見えた。 見たい、早く見たい。進藤がどんな碁を打ったのか。 それからのボクの碁はまるで早碁のようだったと、見に来ていた芦原さんたちに後日からかわれた。 やっとのことで勝って、相手への挨拶もそこそこに場内を見渡すが、二人の姿はない。 まだ全ての対局が終わっていないので、どこかに検討にでも行ったのだろうか。 対局場を出ようとするとインタビューのマイクが突き出されたが、質問への答えもおざなりに、関係者室へ行き2人の対局の棋譜を求める。 一手、一手、読み進めるごとに、寒気がするほど美しい石の並びがそこにはあった。 素晴らしい対局ですよね、と話しかけてくる事務員に返事をすることすら出来ずに棋譜に見入る。 どうして、どうしてこの棋譜を進藤と作り上げたのがボクではないのだろう。 今まで見た進藤の棋譜の中で、一番綺麗だと思った。 チェン・ツァイリンも、これほどの打ち手だっただろうか。 いや、きっと、引き出されたのだ、進藤に。 碁は一人では打てない。 稀有な才能と才能が出会って、初めて最高の盤面が出来上がる。 それが、今、ここにある気がした。 進藤がチェン・ツァイリンと控え室の方に行ったと聞いて、関係者室を出る。 台湾選手の控え室の前を通りかかると、楽しげな話し声が聴こえた。 耳を澄ますとそれは二人の声で、ボクは、ドアの前で立ち尽くす。 今すぐこのドアを叩いて、ニ人に対局の感想を聞けばいいのに。 体が動かなかった。 ・・・何をやってるんだろうボクは。 「何やってんだよ塔矢!」 自分の心を見透かされたような呼びかけに驚いて振り向くと、小走りに近付いてくる和谷さんがいた。 「全対局が終わったぞ。これから表彰式だ。進藤は?」 「・・・あ、ああ、ボクも探しに来たところです」 「で、なんで突っ立ってんだ?・・・あれ?進藤の声か? ・・・ああ・・・台湾の控え室か」 その含みをもって言われた言葉に、ボクの胸はカッと熱くなる。 ボクが進藤に嫉妬していると思われているのだ。 違う、チェン・ツァイリンにだよと言ってやったら、どんな顔をするだろうか。 そんな自虐的な気持ちを吹っ切るように、ボクはドアを叩く。 「進藤、いるのか?表彰式が始まるぞ!」 「塔矢?ああ、今行く」 ドア越しに声がしたのと、そのドアが開いたのはほぼ同時だった。 「勝った?」 無邪気に笑顔でそう聞かれて、「ああ」と答えたものの、視線は後ろのチェン・ツァイリンに向いてしまう。 進藤の後ろにいる彼女は、ボクを見て微笑んだ。 『貴方の言っていた通りでした。打てて、良かった』 ああ、彼女も同じだ。 その輝く目を見て思った。ボクと同じように彼の碁に魅せられてしまった。 「何?なんて言ったの?日本語しゃべれるだろ?」 「まだ日本語勉強中。彼とは中国語の方が話し易い」 「オレもいるんだから日本語で話せよ〜」 進藤には誰とでもすぐに親しく話せる才能がある。 わだかまりがなくなった今、打ち解けるのはあっという間だったのだろう。 「だから話してないで!表彰式始まるって!」 和谷さんが間に入る。 「あ、そっか、じゃ、行こうか」 笑顔でチェン・ツァイリンに声をかける進藤。「はい」と答える彼女の笑顔も綺麗で。 並んで歩く二人の後を追う足が重い。 「なんか知らねェけど、誤解が解けたみたいだな」 不意に和谷さんに耳元で囁かれた。 「オマエさ、ホントに婚約者じゃないなら、応援してやれよ?」 「ふざけるな!」という叫びを喉の奥に無理矢理押し込める。 応援?・・・そうだ。本当に彼が彼女を好きになってしまったら、身を引いた方が彼にとっては良いのだ。わかってる。そんなことはよくわかってるんだ。 「・・・進藤が、それを望むなら」 |
◆Hikaru-Side◆ 投了を告げる声を聞いた後も、しばらく夢の中にいるみたいだった。 チェンの打つ一手一手にドキドキして、でも、そこに佐為はいないこともわかってしまって。 塔矢以外の相手で、こんなに胸が高鳴る対局は初めてだったかもしれない。 佐為じゃなかった。 失ったものは、やっぱり取り戻せなかったけれど。 これからまだ、新しいものを得ることが出来るって、そう思えた。 『これで終わりじゃない、終わりなどない』 去年、高永夏と打ち終わった後に、塔矢が言った言葉が、ふと頭を過ぎった。 うん、そうだな。 なあ、佐為。今の対局見ててくれた? いい対局だったよな? オレさ、もっとすごい碁をオマエに見せてやるからさ。 この先、ずっと、ずっと。 『・・・×××××』 チェンが、中国語で何か呟いたのが聞こえて我に返る。 「何?」 「・・・こんな碁が打てたのは、初めてです・・・」 「え?」 「貴方の碁は・・・綺麗、です。とても、どきどきしました。 負けているのに・・・打ち終わるがのもったいないと思いました」 「オレも!なんか・・・ずっと打ってたかったな」 「・・・はい!」 そう言って笑ったチェンの顔は、佐為がよくオレに見せてくれていた無邪気な笑顔とそっくりで、切なくなったけれど。 「良かった」 「え?」 「ず〜っと怒らせてばっかりだったからさ」 「それは・・・!・・・でも、それはしょうがないですよ」 ほっぺをふくらませるチェン。ああ、なんか想い出すなァ、表情がクルクルかわってさ、あきないヤツだったよな・・・。 「・・・やっぱり似ていますか?」 「え?」 「思い出しているんでしょう? 貴方は私を見る時に・・・時々とても優しい表情になります」 「そう・・・かな?うん・・・確かにアイツのこと思い出してた」 「碁は?似ていましたか?」 「・・・いや」 「それは・・・私が弱かったからですか?」 「そうじゃないよ、強いと思ったよ、すごく。 そうじゃなくて・・・やっぱりアイツの碁はアイツだけのものなんだ。 いつかアイツみたいに打てるようになりたいって思ってたけど・・・ そうじゃないんだな。 チェンのおかげでさ、オレは、オレの碁を打とうって思えたよ。 今日の対局・・・すっごく良い対局だったよな?」 「はい!」 隣を見ると、まだ対局中の塔矢と目が合った。チェンと良い碁が打てたのも、塔矢のおかげだなって思えて。 「ありがとう」 って口だけ動かしてみた。 頷いた塔矢は、再び盤面へと戻っていった。 軽くインタビューを受けた後、台湾の控え室にお邪魔する。 そこでチェンはいろいろ話してくれた。 碁を始めたきっかけ。塔矢先生と出会った時のこと。 台湾の囲碁界の話や初めて来た日本の感想、そんな取りとめない話をした。 ずっと怒ったり真面目な顔しか見てなかったけど、こうして話すと大きな目がキラキラと動いて、オレの話を楽しそうに聞いている様子とか、やっぱり、似てるなって思った。 でも、ただ、似ているだけだ。 やっとそれを認めることが出来て、哀しかったけれど、心のどこかでその事に安心している自分がいて、それも・・・やっぱりちょっと、哀しかった。 表彰式だと塔矢と和谷が呼びに来た。 塔矢も勝ったって聞いて安心する。 すごいよな、去年も今年も全勝だ。 こんなすごいヤツがオレのことライバルだって認めてくれて。 オレも、今日は自分でも最高に納得出来る碁が打てて。 ちょっと前までの苦しみが嘘みたいに、幸せだなって思えた。 |
◆Akira-Side◆ 今大会での全勝はボクだけだったためか、最優秀選手賞なるものをいただいて舞台でスピーチしている間、進藤と彼女が楽しそうに話し続けているのが目に入った。 一瞬言葉が止まりそうになったけれど、なんとか堪えてそちらを見ないようにしてスピーチを終える。 舞台から降りても、なんとなく二人の元へ行く気になれず、解説で来ていた同じ門下の笹木さんに声をかけられたのをいい事に、そこで時間をつぶしていた。 我ながらすっかり板についている営業スマイル。 塔矢行洋の良く出来た息子。 小さな頃から周りの自分に対する期待を感じてきたから、そういう自分を取り繕うことに慣れすぎてしまって、本当の自分をさらけ出すことなどなかったし、何が本当の自分なのかもわからなくなっていた。 彼に会うまでは。 「チェン・ツァイリンが許婚という噂は本当?」 笹木さんに突然振られた話題に、とっさに反応出来ずにいると、 「あ、噂をすれば・・・」 タイミング良く・・・というかなんというか、父に連れられて、噂の当人と進藤がやってきた。 「噂とは何かな?」 父の問いにボクと話をしていた笹木さんは、迷ったような素振りを見せたが、興味が先に立ったのか、 「いやぁ〜実はですね塔矢先生、チェン選手がアキラ君の許婚・・・って 噂があるんですけど本当ですか?」 と聞いてしまった。 「イイナズケ?」 「許婚?」 チェンと進藤が聞き返す。チェンは日本語の意味がわからなかったような感じだったが。 「ははは。そんな噂があるのか」 「どうなんですか? チェン選手にずいぶん目をかけていらっしゃるようじゃないですか」 「たしかに、この子の才能には一目置いているよ。しかし許婚とは・・・面白いな」 「チェン選手はしばらく日本に滞在するという話を聞きましたが?」 「1週間ほど私のところに滞在する予定だ。アキラとも打たせようと思っている」 「え?滞在・・・って、ウチにですか?」 そんな話は聞いていない。 「ああ、そういえば言っていなかったか。今夜からウチに泊まるから」 ・・・お父さん、そりゃボクはそんな貴方の息子だから今まで女性に興味ももたなかったんでしょうけど、年頃の男女を寝食共にさせて、世間にどんな目で見られるか。ほら、案の定、笹木さんが意味あり気な目線でボクをみてるじゃないですか。 と思っても口には出せない。 いや、世間の目なんかどうでもいい、問題は彼がどう思うかだ。と、彼を見ると、 「・・・許婚?」 ともう一度聞き返される。 「いや、それは・・・」 「イイナズケとは何ですか?」 「ああ、そうか、最近はあまり使われない日本語だよね。うーん、婚約者、とか、 わかるかな?」 笹木さんの言葉にチェンは顔を赤くする。 「わ、私が?そんな事ないです!」 「いや〜美男美女で碁が強くて、お似合いだと思うけどなあ〜ねえ塔矢先生? こんな子がお嫁さんにきたら嬉しいですよね?」 「はは、まぁ、嬉しくないと言えば嘘になるがな」 「お父さん!」 まさかお父さんの口からそんな言葉が出るとは思いもしなかった。 よもやそれが目的で家に泊めるというわけでもないだろうが・・・。 「・・・塔矢が・・・チェンと?」 呆然とした進藤の呟きが聞こえた。それに反応した笹木さんがからかうような口調で 「おや、進藤君、反対かい?」 と言ったが、進藤はそれを無視してボクを見た。 「いや、あの、進藤、それは・・・」 「・・・ちょっと待てよ・・・許婚とか婚約とか・・・」 「わ、私そんなつもりはないですよ!」 チェンが進藤の腕を掴む。赤くなって慌てて進藤の誤解を解こうとするチェンを見て、お父さんも笹木さんも「おや?」という顔をする。 そんなチェンに、進藤の顔もわずかに赤くなったのをボクは見逃さなかった。 『オマエさ、ホントに婚約者じゃないなら、応援してやれよ?』 和谷さんの言葉がよみがえる。 進藤が望むなら? 応援、出来る? ・・・ボクが一番望んでいることってなんだろう。 彼の幸せ? それとも・・・。 「あ・・・あれ?ちょっと待って・・・・・・あれ?」 なぜか突然慌てて困ったように進藤がボクを見る。 「・・・どうした?」 「え・・・っと・・・あの・・・その・・・さぁ」 「・・・だから、どうした?」 「・・・・・もしかして・・・さぁ」 「?」 「・・・・・・今さらこんなこと聞いたら怒られそうだけどさぁ・・・」 「・・・?」 「チェンって・・・・・・・・・女の子?」 「「「「はぁ???!」」」」 初対面の時と同様のビンタをチェンからあびた進藤は、笹木さんによって碁界中にばらまかれたこのネタによって、その後数ヶ月笑われ続けることとなった。 「だぁってさぁ!佐為にそっくりなんだからさぁ! 最初からもうあたりまえのように男だとしか思ってなかったんだよ!」 「ボクはsaiに似てるって聞いた時から、 saiが女性だったのかって驚いてたんだけどね」 「saiは男だよ。そりゃぁ髪も長いし、言われてみりゃぁ女みたいな 顔してたかもしんないけど・・・でも男だったの!」 「チェンは・・・きっとキミのことを好きになりかけてたと思うよ」 「なっ・・・!あんだけ怒ってたヤツが急にそんな風にならねェだろ!?」 「キミの碁にはそれくらいの心変わりをさせる何かがあるってこと」 「・・・知るかンなこと・・・」 ホテルの部屋で帰り支度をする進藤をベッドに座って待ちながら(ボクはあらかじめ整理してあったのですぐに終わった)、ボクはこっそりため息をつく。 キミが彼女を好きになってしまうかもと心配したボクの時間を返せ! ・・・いや、でも、進藤はボクを好きだと言ったよな・・・ということは・・・性別なんか問題じゃないのか・・・?いや、そんなこと言ったら高永夏や洪秀英とだってありえるということに・・・。 いけない、思考が余計な方向に回ってしまう。 「早くしろ。お父さんに夕食誘われてるんだから」 話題をそらす。進藤のことを常識の範囲で考えても覆されるとボクもそろそろ学ぶべきだろう。 「終わる終わる・・・はい、終わった!」 やっと荷支度が終わった進藤は、立ち上がって腰を叩く仕草をみせた。 「じゃあ、行こうか」 「・・・なぁ、塔矢」 「ん?」 「・・・ダメだからな」 「え?」 「・・・と、塔矢先生が賛成しても、チェンとなんて・・・ダメだからな!」 赤くなって半ば怒鳴るように言う進藤に思わず吹き出す。 「笑うな!」 「それはこっちの台詞だ。・・・saiに似てるからって・・・好きになるなよ」 ふと、進藤から表情が消えた。 思わず、怖くなるほど、一瞬で。 「・・・オマエも」 「・・・え?」 「オマエも、佐為の面影じゃなくて、ちゃんとオレを見てろよ」 「進藤・・・」 「オレも、もう佐為の面影を追いかけたりしない。 ちゃんとオマエを見て、ちゃんとオレの碁を打つ」 決意を込めた、静かな声。 出会った頃よりずいぶん低くなった。 身長だってずいぶん伸びた。顔も、もう幼さはほとんど残っていない。 彼は変わった。あの頃からずいぶん。 きっと、ボクも変わったのだろう。 これからも変わっていくだろう。 それでも、どんなに変わっても、変わらないものだってあるだろう。 「髪、切ろうかな。パーマとかかけたらどうなるだろう」 「ばっ・・・似合うわけねェだろ!やめろよ!?」 「そうだな。キミは・・・ボクの髪が、好きだもんな」 一瞬、怒ったような顔をされたけど、その後わざとらしくため息をついた進藤は、ボクの髪に手を伸ばして笑顔を見せた。 「そうだよ、オレは、オマエの髪が好きなの!」 |
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