※背景固定、フィルタ使用のため、IEでご覧下さい。 (04.11.3) 『恋に落ちた日』
「アキラ先生、この間棋院でファンの子からラブレターもらったんですって? 芦原先生から聞きましたよ〜」 広瀬さんにそんな事を言われて、ボクは内心芦原さんを恨みつつ、 「そんな、ラブレターなんて・・・ちょっと手紙をもらっただけです」 と答えた。 「『ちょっと手紙』なんて若い女の子がわざわざ棋院にまで来て渡さない でしょう?芦原先生がなかなか可愛い子だったって言ってましたよ。 で、その後どうなったんですか?」 「どうって・・・どうもしませんよ」 ボクは苦笑するしかない。 「どうもなるわけないだろう広瀬さん!若先生にはもっとこう、 素晴らしい相手が相応しい!いくらでも選べる立場なんだから、 よ〜く吟味していい子を見つけて下さいよ若先生!」 意気込む北島さんになるほどと同意する広瀬さん。 「アキラ先生、よかったら私がいくらでも良い相手を探してあげますから」 この手の話ではよく市河さんや芦原さんが犠牲になっているけど、自分もそんな話題にされる年になったんだなあ、と少し感慨深かった。 「あ、オレたちに内緒で彼女いないでしょうね? 若先生、彼女が出来たら絶対にオレたちにも紹介して下さいよ!」 「いませんよ、彼女なんて。今は碁を打つことで精一杯ですから」 「塔矢先生もそんなこと言ってなかなか結婚されなくて、 でも結局お見合いであんなに良い奥さん見つけられたんだから ラッキーでしたよねえ。 ほら、やっぱりアキラ先生もお勧めですよ、お見合い」 広瀬さんはニコニコと笑う。 「・・・ええ、まあ、いざとなったらお願いします」 失礼のない程度には話を合わせる。 正直言ってまったく関心がないので楽しい話題ではなかった。 そう、お父さんもお見合い結婚だった。でも、なかなかどうして仲の良い夫婦だと思える。もともと地方対局には夫婦で行っていたが、お父さんが引退してからはますます二人で家を空けることの方が多かった。あんな相手と出会えて、あんな風に暮らせるのなら、お見合いも結婚も悪くはないかな、とも思えるけど。 でも、今はまったく結婚なんて、いやそれ以前に恋人ですら、自分には必要な存在だと思えなかった。 「進藤、オマエも広瀬さんにお願いしておいた方がいいんじゃないのか? 彼女、いないだろ?ええ?」 不意に話題をふられて目の前で碁盤を睨んでいた進藤は顔をあげる。 「うっさいよ北島さん〜。今、いい手が思いつきそうなんだからさ〜」 「はっはっは!都合の悪い話題だから入りたくないんだろ! まさか進藤に若先生を差し置いて彼女がいるわけないからなあ」 「だからうるさい!別に彼女なんか欲しくねェよ!」 「欲しくない、じゃなくて出来ない、だろ?」 「んなこたぁねェよ!」 「悔しかったらここに女の子の一人や二人、連れて来い!」 「ああ!連れて来てやろうじゃねェか!」 「ふふん!楽しみにしておこう!」 「じゃあオレが女の子連れて来れたら今後ここでの飲み物代、 北島さん払いな!」 「あ〜あいいとも!」 まったく、いつものことながらこの二人のやりとりはまるで子供のケンカだ。 ・・・まあ、そんなこと口にしたら市河さんあたりに「アキラくんもでしょ」と笑われるかもしれないが。 「北島さん、でもその賭けは分が悪いと思いますよ」 と、ボクは一応忠告する。 「ええ?」 「進藤、あの囲碁部の女性を連れてくるつもりだろう?」 「ああ。ふっふ〜ん、あかりならきっと喜んで来るぜ! 北島さん、ザンネンでした!」 「な、何ィ!?その子は彼女なのか?」 「彼女じゃねェけど・・・でも『女の子の一人や二人』って言ったんだから 彼女じゃなくてもいいんだろ!」 「い、いやダメだ!やっぱり彼女を連れて来い!」 「なんだよズルイよ〜」 「あら、進藤くん、碁会所に一緒に来てくれるような女の子のお友達がいるの?」 市河さんがそう言ってボクらの前にお茶を置いていく。 「まあな、幼なじみ!」 「囲碁部なの?一緒にやってたんだ?」 「ってゆーか、オレが碁を始めたらアイツもやり始めたんだよ。 『ヒカルに出来るなら私にも出来そう』とか言ってさ〜」 「そうねえ、進藤くん、とても碁を打てそうに見えないものね」 「どーゆー意味だよー」 進藤は頬を膨らませる。市河さんはそんな彼を見て笑ってこう言った。 「その幼なじみの子は進藤くんのことが好きなのね」 言われて進藤は一瞬きょとんとして、それから「んなことねェよ!」と怒ったように、いや、照れたのだろう、市河さんの言葉を否定した。 「そうかしら?女の子が男の子の影響を受けて物事を始める時って 相手のことを何かしら想っているって証拠よ」 進藤は「ないない、それはない!」とあきれた口調で答える。でも、ボクから見ても市河さんの指摘は正しいように思えた。一般的に囲碁は若者がとっつきやすいものでもない。だからこそ進藤の幼なじみの子が進藤から受けている影響の大きさが感じられるのだ。 ふと、進藤はどんなきっかけで囲碁を始めたのだろう、と思った。およそ囲碁に関心を持つような環境には見えないのに。 「アキラくん」 市河さんに呼ばれてボクは我にかえる。 「ねえ、進藤くんの幼なじみってどんな子?」 「だ〜か〜ら〜!もうその話題はヤメヤメ! 絶対連れて来ねェよ!」 そこまで必死に嫌がられると、終わらせたくなくなるのが人の常というものだ。 「そうですね、髪が肩よりちょっと長くて、可愛らしい感じの人です」 正直いってうろ覚えだったが、だいたいそんな感じだっただろう。 「可愛らしィ〜!?塔矢、オマエ、アイツみたいなの好み? なんだったら紹介してやろうか? アイツ、オレのことバカバカ言いやがるから、案外オマエみたいな 真面目なタイプ、好きかもな」 「・・・彼女がキミのことを『バカ』と言いたい気持ちがわかるよ」 「・・・私も」 ボクと市河さんとでため息をつく。 自分の好きな男から他の男を紹介されるくらい哀しいこともないだろう。 そういう方面にまったく気付かないから『バカ』と言われるのだ。 ・・・まあ、ボクも人のことは言えないが。 「よし、じゃあ結局女の子は連れてこないわけだ! 賭けはオレの勝ちだな!」 「別にいいけど、北島さんの勝ちでも。だってまだオレが負けたらどーするか 決めてなかったもんな。だからどーでもいいや」 「なっ・・・!くぉぉ・・・そうだったぁ・・・!」 まったく、本当に子供のケンカだな、とボクは二人のやりとりに笑う。 でも、遠くない未来に進藤はここに彼女を連れてくるようなこともあるかもしれないと思った。 今はまだそういう方面に幼い彼も、いつの日かあの幼なじみの子の気持ちに応える日が来るのかもしれない。 そんなことを考えたら、なぜだか少し、胸が痛かった。 ・ ・ ・
家に帰って、ボクは引き出しの奥から小さな箱を取り出す。 そこには、今までにもらったいわゆるラブレターという手紙が入っている。 書いてある内容は「好きです」「付き合ってください」というお決まりのもので、もらうたびにどうしてろくに話したこともない相手にそんなことが言えるのだろうと不思議に思うし、だからその気持ちに応えたこともなかったけれど、その手紙を捨てることは出来なかった。 本当につまらない内容で、読み返したこともなかったけれど、それでも増えていく手紙を見ると思う。 彼女たちがこんな風にして伝えたい気持ちは、そのエネルギーはどこから生まれてくるのだろう、と。 雑誌のインタビューなどで『初恋はいつですか?』なんて質問をされることがある。まだです、と答えたら、「そんな、隠さなくてもいいでしょう」と笑われた。 後日『初恋は6年生の時です』という嘘の答えを載せた雑誌を見た市河さんに、「ホント?アキラくん!?」と問い詰められて「嘘ですよ」と苦笑したことを思い出す。 十五歳にもなったら初恋など終わっていて当然だという世間の目。 市河さんのようにボクの初恋がまだだなどと思っている人なんかごく少数だろうし、雑誌記者の方が常識的な考え方だということも理解出来るけれど。 それでも、初恋の日を偽らなければならない自分をどう思えばいいか、ボク自身がもてあましているのだ。 手紙の束を見ると、自分の欠けているものがそこに詰まっている気がした。 誰かを好きになるということはどんな気持ちだろう。 その想いを伝えたいほどの相手とは自分にとってどんな存在だろう。 自分のことを好きになってもらいたいなんて、それで、どうしたいんだろう。 そんなことを、頭で考えてしまう自分も情けないと思うけれど。 わからないんだ。 ボクは、恋をしたことがないから。 ・ ・ ・
『恋』 −異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち− 『愛』 −対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ− 『恋愛』 −男女が恋い慕うこと。また、その感情− ふと思いたって辞書で引いてみた。 強く惹かれる異性、か。 そう、あらためて言葉の意味を調べたりしなくたってボクはやはり恋などしたことがない。会いたい女性も、ひとりじめにしたい女性も、一緒になりたいと思う女性も、いないし、いたこともない。 世の中の人は、皆こんな気持ちを胸に抱いて生きているのだろうか。 でも、愛という言葉は実感出来る。 お父さんに昔言われた。 ボクは、限りなく囲碁を愛する才能を持っている、と。 囲碁はボクにとってかけがえのないもので、ボクの心は囲碁に惹き付けられている。 そう、だから、ボクの囲碁に対するこの気持ちは愛なんだろうって思える。 もちろんお父さん、お母さんに対する愛だって持っている。かけがえのない家族。 この気持ちと同じ気持ちを感じる女性が、そのうち現れるのだろうか。 恋にしろ、愛にしろ、頭で考えてもしょうがないことだとはわかっているのだけれど、それでも考えずにはいられなくて、でも考えれば考えるほどボクの中には誰もいないような気がして、空っぽの胸が乾いた音を立てる。 一度でいいから、この胸が満たされるような恋がしたいなんて、願うこと自体が可笑しいことだろうか。 ・ ・ ・
「キミは囲碁を愛しているか?」 ボクの言葉に進藤は、口に運びかけていたポテトを落とした。 「・・・はぁあ!?」 「だから、キミは、囲碁を、愛しているか?」 ボクはゆっくりと言葉を繰り返した。 今日は木曜日。高段者の手合の日だ。 低段者のボクらではあるが、最近はこちらで会うことの方が多い。 そして、打ち掛けの時はたまにこうして昼食を共にする。 たいていはファストフード。彼は食事をし、対局中は食事を取らないボクはコーヒーを飲む。 午前中の対局内容を互いに検討し、問題なく勝ちにいけそうだと話が一段落したところで、ボクは本当は対局どころではないくらいに脳内を占めている話題を持ち出したのだ。 「あ、アイって・・・なんだよそりゃ」 「知らないのか?愛とはかけがえのないもので、心が引き付けられるものだ」 ボクは辞書に載っていた定義を答える。 「あのなっ!そういう意味じゃねェよ! いきなりなんでそんな話なんだって聞いてんの!」 「・・・別に。ただ、知りたかっただけだ」 ボクはコーヒーを一口飲む。 「オレが、囲碁を・・・その、なんだ、アイしてるかどうかって?」 「そう」 「・・・そりゃあ囲碁は・・・好きだけどさ」 「愛してる?」 「〜〜〜っっ知るか!んなこと!わかんねーよアイなんて!」 「キミは何かを、誰かを、でもいい、愛したことはないのか?」 「ってゆーかフツーあんまり言わねェだろ、そういう言葉」 「そうなのか?ボクは小さい頃に父から 『限りなく囲碁を愛する才能を持っている』と言われて、 それを誇りに生きてきたんだぞ」 「ま、まあ塔矢先生とかが言うならわかるけどさあ・・・。 オレはまだわかんねェよ、そんなの」 進藤はそう言って、先ほどトレイの上に落としたポテトをつまんで口に入れた。 「・・・じゃあ、恋をしたことはある?」 「っんぐっ」 今度はポテトを喉につまらせたようだ。 「・・・むせるようなこと聞いたか?」 「・・・ばっかじゃねェのか!むせるに決まってんだろ! なんでそんなこと聞くんだよ!」 「別に、知りたかっただけだ」 先ほどと同じ返事を返す。そう、ただ知りたいんだ。 ずっと碁を打つ進藤を見てきた。 会えば碁の話ばかり。 そんな彼だから余計に知りたいと思うのだ。 ボクはしたことがない恋を、同じように碁に夢中なように見える彼は、経験したことがあるのかどうか。 「・・・オマエは?」 「・・・え?」 不意に問われてボクは言葉を詰まらせる。 「だから、オマエは、あるのか?どーなんだよ?」 ない、と答えたら、変だと思われるだろうか。 あの雑誌記者のように、隠さなくてもいいのにと言われるだろうか。 ・・・でも、ここで嘘をついてもどうにもなりはしないのだ。 「ない」 ボクはそれだけ言ってまたコーヒーに口を付けた。 「ふ〜ん。ま、そうだよな〜。なんかめんどくさそうだもんな、そういうの。 それに、やっぱ碁打ってる方が楽しい気がするもんなあ」 あっさりと彼はそう言って、ハンバーガーにかぶりつく。 「・・・キミも、恋をしたことはないのか?」 「お母さんに『昔ヒカルは幼稚園のナミコ先生のことが大好きだったのよ〜』 とか言われたりするけどさあ、そんぐらいじゃねェかなあ。 したことあるかないかなんてどーでもいいじゃん、そんなこと」 どうして、どうしてそんな風に思えるのだろう。 「・・・不安に、なったりしないのか?」 「不安?え?この先彼女が出来ないかも、とか? 何、オマエそんなこと心配してるの?」 「違う!そうじゃなくて・・・」 そうじゃない。ああ、でも・・・そうなんだ。やっぱり彼とボクでは違う。 彼は、恋を『しない』のだ。 恋が『出来ない』ボクとは、違うのだ。 「・・・いや・・・そうだな、キミならきっといつか普通に恋をして、結婚もして、愛する家族を築けるんだろうな」 たとえばあの囲碁部の女性とか、これから出会うかもしれない女性とか、時が来れば彼は恋をして、その人との時間を過ごすのだろう。 「・・・キミならって・・・オマエだって、そうだろ?」 当たり前のことのようにそう言われて、自分でも思ってもみなかったほどの衝撃で胸に締め付けられるような痛みが走った。 「・・・ボクは・・・ボクには、きっと無理だ」 我ながら馬鹿正直に弱音を吐いたものだと思う。 でもそれは「そんなことない」と慰めてもらいたかったからではない。 ・・・なぜだろう、いっそ、あきらめてしまいたいと思った。 昨日からずっとそんなことばかり考えていた。 この先、きっと恋なんて出来ない自分を、認めてしまいたかった。 それができれば、もう自分には碁だけだと思うことだって出来るだろうに。 どうして、そう出来ないんだろう。 なぜ、求めてしまうんだろう、誰かを。 ボクを愛してくれる、誰かを。 ボクが愛せる、誰かを。 「・・・なんで無理なんだ?」 進藤が、ボクの目を覗き込む。 「・・・だって・・・考えてしまうんだ。 この先、囲碁と同じように夢中になれる相手に出会えるんだろうかって。 基本的にボクという人間は他人に関心がないんだ。 今まで学校に友達と言えるような人間もいなかったし、 誰に対しても距離を保っていた。 それなのに、今さら誰かに夢中になれるなんて、思えないんだ」 学校に友達がいなくても、別に不自由はなかった。 嫌われていたわけでもないし、たとえばクラスで班を分ける時なんかもボクは「使える」人間だったからむしろ自分で望む以上に必要とされていた。 友達がいない、と自分でも認識しているが、それについてどうこう思ったこともない。 孤独を愛しているというわけでもなくて、ただ、ボクには囲碁があった。 これ以上、必要なものなどありはしないのかもしれない。 だから、『恋』がとても遠い。 「・・・何言ってんのオマエ」 「え?」 「オマエが他人に関心がないわけねェじゃん」 「・・・!どうして!?キミに何がわかる!」 あきれたようにそう言われて、思わず声を荒げてしまう。 ボクが、こんなにも苦しんでいるというのに、そんな風に軽く扱うなんて。 「何がわかるって・・・・だってさぁ、オマエ、どんだけオレのこと 追いかけまわしてたと思ってんだよー。 学校に押しかけるわオレと対局するためにわざわざ囲碁部に入るわ・・・ ってさ、それで他人に関心がないなんて言ったらオマエ関心があるヤツには 何する気だよ。あれ以上やったら犯罪だぜェ?」 案外塔矢って好きになったらストーカーするほどのめり込むタイプじゃねェの?などと失礼なことを言って笑っている進藤に、ボクは言い返すことも出来なかった。 だって・・・あまりにも驚いたから。 まったく気付かなかった自分に。 芦原さんに昔言われた。「つまんないんだろ?」と。 囲碁界に同い年のライバルがいないことはつまらない、確かにその通りで。 大好きな囲碁を打っていても満たされなかったあの頃。 でも、彼が現れてからボクの運命は逆転した。 進藤ヒカル。 今、目の前でコーラを飲んでいる彼によって、どれだけボクは変わっただろう。 どれだけボクは・・・満たされただろう。 話をすれば反発するし、気に食わないことの方が多いかもしれないけれど、それでも・・・失えない。時おり消えそうになる彼を、探して、追いかけて、捕まえて、夢中だった。 ・・・気付かなかった。 ボクは・・・・・・ 「ボクの初恋はキミだったんだな」 呟いたボクの言葉に、彼はコーラを噴出したけれど、慌てふためく彼とは反対に、ボクは心がゆっくり何かで溢れていくのを感じていた。 ボクにも、誰かを想う心があったのだ。 大切にしたいと思う相手に出会えていたのだ。 多少、不本意な部分はあるが・・・まあ、今はそれには目を瞑ろう。 進藤は、コーラを唇の端にたらしたままで(汚い)、パクパクと酸欠の金魚のように口を動かして言った。 「ば、ば、ば、バッカじゃねェのか!!!?」 相変わらず失礼なヤツだ。 まったく、自分でもどうしてこんなヤツがいいのかと思うけど。 「そんなに驚くことはないだろう? ボクの気持ちを指摘したのはキミじゃないか」 「お、オマエの気持ちって、オレはただオレに関心あったって言っただけで、 そんな、は、初恋がどーとか言った覚えはねェ!!」 「でもボクがキミに強く惹かれて、会いたい、キミと打ちたいと、 ずっとキミを想っていたのは事実だ」 「で、でもそれと恋は違うだろ!?」 「そうなのか?ああ、それじゃ愛してるのかな? ボクは囲碁を愛している。 ボクが囲碁を打つためにはキミが必要だ。 だから、キミを愛している」 「そんな三段落ちするな!!!」 「何をそんなに怒っているんだ?ボクに愛されるのは嫌か?」 「べ、別にこれは怒るとか嫌とかそんな問題じゃねェよ!!」 バカだアホだ変態だなどとうろたえる彼をしり目にボクはぬるくなったコーヒーを飲み干す。 さっきまで悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。 やっぱり、恋とか愛なんて、頭で考えるものじゃないんだな。 彼と出会ったあの日が、すべての始まりだった。 いつの日からか、ボクはキミのことを考えると、苦しくて、でも夢中で。 いつの日からか、ボクはキミだけにしか感じない感情を覚えた。 ずっと、キミだけを、想っていたんだ。 ・ ・ ・
午後の手合を勝利し、対局場を出たところで進藤に呼び止められる。 ガクンと調子を落としたらしい進藤は、余裕で勝てた勝負だったのに危うく負けるところだったと文句を言った。 「そんなことでうろたえるなんて、精神的にダメな証拠だ。 なんだったら今度から対局前に必ず言ってあげようか?」 わざとらしく耳元で『キミを愛してる』と囁いてやったら、進藤はそれこそゆでだこのように顔を赤くした。・・・面白い。 バカにしやがってちくしょ〜〜〜っと歯噛みする進藤。 そんな彼を見て、しばらくの間優位に楽しめそうだ、などと不謹慎にも思いながら、ボクは歩き出す。 背中に、ブツブツ文句を言いながらもついてくる彼の気配を感じながら。 今日はこの後いつもの碁会所で今日の手合の検討をする予定だった。 ・・・もっとも、彼の今日の内容では検討などしたくないだろうけれど。 不意に、肩をつかまれた。 「オレも、愛してるよ」 耳元に吐息。 ボクは。 いまだかつてないほどに一気に顔が熱を持つのを感じた。 「ばっバカ、冗談だよっっ」 そんなボクの様子に驚いたのか、進藤も赤くなって慌てる。 「ふ、ふざけるなっ!じょ、冗談でもそんなこと言うなっ!」 「な、なんだよっ!最初に言ったのはオマエだろ!?」 「ぼ、ボクは本気だからいいんだ!」 「っ!それこそ冗談だろぉ!?」 「冗談でそんな言葉を口にするほどボクは軽くない!」 ボクの言葉に、進藤は息をのむ。 空気が止まるような沈黙が、ボクらの間に訪れて。 ボクは、そんな沈黙を切り裂くように息を吸い込んで、 「キミを愛している」 そう、伝えた。 彼の視線を受け止めながら、自分の言葉を反芻する。 同じ言葉を彼の口から聞いた時は、無性に気恥ずかしかったのに、自分で言う時にはそんなことは微塵もなくて。 だから、自分の気持ちに迷いも偽りもないんだって思えた。 恥じることなく、自分の誇りにかけて言える言葉。 たとえボクを見つめて揺れる瞳をそらされても。 たとえ想いが、届かなくても。 ・ ・ ・
「初恋はいつ?」 今度、そうインタビューで聞かれたら迷わず答えよう。 「小学校六年生の時です」 カモフラージュではない、その言葉を。 |
BACK | HOME |