◆Hikaru-Side◆ 佐為だ。 佐為だ、佐為だ!! 佐為、佐為、バカヤロ、佐為、なんだよ、塔矢先生のところにいたのかよ、なんだ、そうか、佐為、うん、もう、どうでもいいやそんなこと、良かった、嬉しい、また会えて、オレ、もう一度会いたかったんだ、佐為、佐為、会いたかった・・・! 抱き締めた体がとても小さかった。 周りが何か言う声がうるさい。 そんなもの、何一つ、どうでもよかった。 また会えた。 後から考えれば、抱き締めることなんて、出来るわけなかったのにってわかる。 オレより小さいわけないし。 何より、優しくオレを呼んでいた、あの声じゃなかった。 『×××××××××!!!』 聞きなれない言葉で叫ばれて、頬を叩かれる。 あれ、佐為、怒ってる、って思った。 なんだよ、叩くことねェじゃん、そりゃ・・・オレに愛想つかしていなくなったのかもしれないけど・・・でも・・・オレ、探したんだぜ、オマエに会いたくて、会いたくて。 佐為、と伸ばした手を横から掴まれた。 振りほどこうとそっちをみたら、塔矢だった。 塔矢、コイツが佐為だよ、昨日はもう会えないなんて言っちまったけど、会えちゃったな、オレもビックリだ、あはは。 は?何言ってんの?佐為じゃん、佐為だよ、オマエ、佐為のこと知らないのに違うとか言うなよ、なあ、佐為、塔矢に自己紹介し・・ 「・・・進藤君、この子はsaiではない」 低く響いた声が、オレを夢から覚めさせた。 「と・・・やせんせ・・・?」 なんでか体がガタガタと震えてきて、オレはそれを抑えようと自分の腕をギュッと押さえる。 「saiではない。打てばわかる。・・・そうか、saiは、この子に似ているのか」 「・・・佐為じゃ、ない・・・?」 「この子は台湾代表のチェン・ツァイリン。 碁は強いが、少なくとも私の知っているsaiとは違う碁を打つ。 それに、キミから聞いているsaiとは素性も異なる。 だから、違うと思う」 「・・・でも、でも、似てるんだ、そっくりだよ、佐為・・・佐為だろ?」 『××××××?』 眉をひそめた佐為は、また知らない言葉を話した。 それに対して、塔矢が知らない言葉で何か答えていた。謝っているみたいだった。 なんでオマエが謝るんだよ、佐為に酷いことしたのはオレなのに。そうだよ、オレ、謝りたかったんだ、佐為、佐為、オレさ、 「進藤」 グッと腕を引っ張られた。 「何すんだよ塔矢!」 「・・・チェックインはすませているからボクの部屋に行こう。少し、冷静になれ」 「冷静って・・・バカ、佐為が戻って来たのに落ち着いてられるかっての!」 「saiじゃない!」 「・・・!」 「・・・落ち着いてよく見るんだ。本当にsaiか? キミの知っている、キミの大切な、saiなのか?」 「塔矢・・・・・・」 涙が出てきた。 どうして違うなんて言うんだ。 だって、佐為だ、佐為だよ。 そう思いながらも涙が止まらないのは、心の中で佐為じゃないってわかっていたからだと思う。 でも、そんな自分の気持ちですら信じたくなくて、認めたくなくて。 「・・・うるさい!オマエなんか、佐為のこと何も知らないくせに!」 叫んだ瞬間、左頬に鋭い痛みが走る。 頭の中の熱が、一瞬にして下がった気がした。 叩いた塔矢の方が、泣きそうな顔をしてた。 塔矢の後ろで、佐為と同じ顔して、驚いているのが目に入った。 ・・・やっぱり、似てるや。あんなに似てるのに違うなんて、酷いよ。 塔矢先生もびっくりしてる。そりゃそうだよな、冷静沈着そうな自分の息子が人のこと引っ叩いたんだから。 「・・・・・・少しは目が覚めたか」 返事をしないオレを一瞬睨んだ塔矢は、「すみません、失礼します」と頭を下げて、オレの手をひく。その力は痛いくらいで。 塔矢は強引にオレを引っ張り歩き続ける。 エレベーターに乗り、叩き突けるように階層ボタンを押した塔矢は、オレに背を向けて、ずっと無言だった。そんな塔矢を、オレは、ぼんやりと見ていた。 嵐のような激情と一緒に、自分の心もどこかに消えてしまったみたいだった。 |
◆Akira-Side◆ 部屋に入り、半ば放り投げるように進藤をベッドに座らせ、冷蔵庫からミネラルウォーターを2本取り出し、蓋を開けてから1本を渡す。放心状態に見えたが、緩慢な動作で彼はそれを口にした。ボクも一気に半分近く飲む。 椅子をベッドの前に運び、彼に向かい合うように腰かける。 しばらく、そうしていた。 俯く彼を見つめているうちに、爆発的な怒りは消えて、寂しさばかりが残った。 『・・・うるさい!オマエなんか、佐為のこと何も知らないくせに!』 そう、ボクは、saiを知らない。 それはきっと、キミを知らないことに等しいんだ。 台湾の棋士、彼女はsaiではないだろう。 きっと、彼も本当はわかっているはず。 それでも、求めてしまうほどに大きな存在なんだ、saiは。 さっきの様子からして、saiは今彼のそばにはいないのだろう。 昨日の言葉通りなら、消えてしまったのだ。それが、どういう意味にしろ。 でもいつの日か、本物のsaiが戻ってきたら、 きっと、彼は、行ってしまう。 きっと、あっけないほどに、ボクをおいて。 saiに似ているという彼女は、綺麗な女性だった。 そのことが余計に、ボクを苦しませる。 それが、情けなかった。 それに何より、あの、黒く艶やかな髪。 彼がボクの髪を触るのが好きな理由が、わかってしまった。 知りたく、なかった。 彼が、たとえ本当は誰を想っていても、ボクの気持ちは揺るがないと、自分自身を信じたかった。 本来なら、最初から叶わぬ想いだったんだ。 わかっていて、それでも、好きだと思ったんじゃないか。 「・・・強引なことをして、すまなかったな」 ボクの言葉に、彼は俯いたまま。 「さっきの子は、台湾代表のチェン・ツァイリンだ。前に話したよね、 父が注目している新人だ。 年はボクたちより一つ下。でも、今大会の台風の目って言われてる」 「・・・そんなに、強いんだ?」 やっと、顔を上げる。 「そのようだね。でも、saiじゃない。それは、打てばキミが一番よくわかるだろう」 「・・・・・・うん」 そうだ、対局すれば全てがはっきりする。台湾戦でたとえ直接対局出来なくても、他の人と打った棋譜でだってわかるだろう。 「・・・なあ、塔矢。オマエも、saiに会いたい?」 「・・・それは・・・もちろん。会って、打ちたい」 「・・・あのさ、もし・・・オレか、佐為か、どっちか一人しか もう打つことが出来ないっていったら・・・どっちを選ぶ?」 なぜそんなことを聞くのか問いたかったが、彼の真剣な目がそれを拒んでいた。 「・・・キミを選ぶよ」 「なんで?」 「なぜって・・・確かにsaiは優れた打ち手で、対局したい相手ではあるけれど、 初めて打った時からボクは、キミの碁に何よりも心奪われてきたんだ。 どんなに強い棋士よりも、キミの碁を選びたい」 ボクの言葉に反応したかのように、彼の目に一瞬にして涙が溜まって零れ落ちた。 最初、ボクは、彼が喜んでくれたのだと思った。 嬉しくて、泣いてくれたのだと。 だけど、そうではなかった。 苦しげに眉を寄せる彼を見て、ボクは、自分がしてはいけない間違いを犯したことに気付いた。 「・・・なあ、塔矢。オマエ、この前言ったよな。 初めてオレと打った時から、オレなしではいられなくなってる、って」 「・・・進藤?」 「・・・なあ、言ったよな?」 「・・・ああ。その通りだ。ボクは、あの時からずっとキミに惹かれて・・・」 「オマエが本当に好きなのは、オレじゃない」 ボクの言葉を遮って、吐き捨てるように言われた言葉。 「何を言って・・・」 「オマエがオレを好きになったと言ってくれた、あの碁を打ったのが佐為だ。 初めて打った時も、二度目にオマエを負かした時も。 オマエがずっと追いかけているのはオレの中にある佐為の面影だ。 オマエが好きになったのは、佐為だ。 オレじゃ・・・ないっ オマエのsaiを・・・オレが、消してしまったんだよ」 |
◆Hikaru-Side◆ もしも、本当に佐為が帰ってきたらって考えてみた。 佐為と毎日打ってさ、今度こそちゃんとオレ以外のヤツとも対局させてあげてさ。 自分が佐為の強さを理解出来る力を得た今だからこそわかる。どんなに、佐為が打ちたかったか。 だから、今度こそ思う存分その望みを叶えてやりたい。 ・・・そう、はじめのうちはそう思うだろう。 でも、きっと、また同じことを繰り返す。 オレが佐為として打ったら、皆がオレではなく佐為を求めるようになるだろう。 オレは、それでも自分が打ちたくて、また佐為を消してしまうんだ。 オレ一人のエゴが、佐為を皆から奪う。 ・・・塔矢先生は許してくれた。 でも、本当は失望しただろう。オレは塔矢先生の優しさに甘えただけ。 塔矢は?塔矢はどう思う? 『初めてキミと打った時から、もう、キミなしではいられなくなってるよ』 心臓が、止まるかと思った。 ああ、やっぱりそうなんだ。 塔矢が好きになったのは佐為なんだ。 わかってた。わかってたけどでも、「キミの打つ碁がキミのすべてだ」と言ってくれたのも塔矢だった。あの言葉が、本当に嬉しかったんだ。 でも今、佐為がもしも戻ってきたら、塔矢は同じ言葉を言ってくれるだろうか。 いつまでたっても、いざって時に塔矢に勝てないオレよりも、佐為を選んだって責めることなんか出来るはずない。 そしたらオレは塔矢のために、自分を捨てて佐為と打たせてやれる? 塔矢のこと好きだから、塔矢のために。 ・・・無理だ、無理だよ。ああ、これが嫉妬ってヤツなんだ。 佐為を、憎いとすら思った。 ・・・でも、佐為に会いたい。それもホントなんだ。 さっきはオレの邪魔をする塔矢に頭にきてた。 あの時、オレは確かに、塔矢よりも佐為が大切だった。 自分の気持ちがわからない。 オレは、どうしたい?どうすればいい? 「・・・ボクが打ったのはキミじゃないって・・・どういうことなんだ?」 「・・・昨日、言っただろ?佐為はオレに取り憑いていた幽霊だって」 「・・・そんな話を信じろと?」 「塔矢先生は信じてくれたよ」 「!・・・昨夜、父とその話を?」 「そうだよ。嘘だと思うなら聞いてみればいいさ。 佐為は幽霊で、オレに取り憑いて碁を打ってたけど、 いつの間にかオレ自身が碁に夢中になっちゃって、 佐為に打たせてやれなくなっちゃって、だから、いなくなっちゃった。 オマエがオレの中に佐為の強さを感じたのはそういうわけなんだ。 ・・・がっかりしただろ? オマエはオレの中の佐為を求めていたんだろうけど、 きっと、佐為はもう、帰ってこない。 だからっオマエがオレのこと好きでいる理由はもうないんだ!」 「進藤!それは・・・それは違」 「違わない!」 叩きつけたオレの言葉に、塔矢は何か言おうと吸い込んだ息を吐き出して、黙った。 永い、永い沈黙があった。 オレは俯いたまま、塔矢の顔を見ることが出来なかった。 永遠のような静けさのあと言われた言葉は、自分でも気付いていたけれど、必死に、隠していたつもりの感情だった。 「・・・確かにボクは、キミの言うとおり、キミの中のsaiの面影を 求めていたのかもしれない。 でも、それはキミも同じだろう?キミは、ボクにsaiの面影を求めていた」 「・・・・・・っ」 「・・・ボクの髪に触れている時、何を考えていた?」 ・・・気付かれてた?なんで?だって、佐為の髪がどうだったかなんてコイツが知るわけ・・・ああ、そうか、さっき佐為に似ているヤツを見たから・・・。 「ずっと・・・感じていた。キミの中でsaiはボクよりも大きな存在だと。 saiが戻ってきたら、ボクから離れていくのはキミの方だ・・・!」 |
◆Akira-Side◆ その時突然、部屋の電話が鳴った。 はっとして時計を見ると、集合時間5分前だった。 「はい、塔矢です」 慌てて電話に出る。 「塔矢か?和谷だけど。進藤もそこにいるか?そろそろ集合時間だぜ?」 「すみません、今行きます」 「オマエら、なんかあったのか?こっちでなんか変な噂されてるぞ?」 「・・・とにかく、今行きます」 相手に答える隙をあたえず電話を置く。 ロビーであれだけ騒いだのだから、関係者に目撃されていても当然だろう。 ボクはこっそりため息をついて、振り返る。 「和谷さんからだ。もう、行かなくては。・・・行けるか?」 まだ少し、涙の残る彼の顔。 「・・・顔洗ってから行く。先行って遅れるって言っておいてくれ。洗面所借りる」 そう言ってボクの横を通り抜け、洗面所に行ってしまう。 ボクの方こそ顔でも洗って気持ちを静めたいところだけれど。 水音の聞こえる洗面所に「じゃあ、先に行くよ」と声をかけて、部屋を出た。 「進藤が塔矢の許婚にいきなり抱きついて、その許婚に引っ叩かれたあげく 塔矢に殴られたって噂になってるぞ」 「・・・なんですかそれは」 そりゃこっちの台詞だよ、と和谷さんにあきれたように言われてため息をつく。 だが、思い返してみると、遠くから見ていたならそんな風に見られても仕方がないかもしれない。 父が以前からチェン・ツァイリンに目をかけているのは一部では有名な話だった。そういえば、以前誰かに「チェン・ツァイリンは碁も強いし美少女だから、アキラ君の結婚相手にと先生は考えているのかもしれませんねえ」と言われたこともあったっけ。 それもあって、チェン・ツァイリンは父親公認のボクの許婚という設定にされているらしい。 「あれが塔矢の許婚か~えらい綺麗な子やなあ」 と本気とも冗談ともつかない調子で社に言われる。 つられて社の視線の先を見ると、チェン・ツァイリンが父と、台湾の関係者と思われる人たちと談笑していた。 確かに、とても綺麗な子だ。年のわりに落ち着いた感じの印象だが、10人に訊いたら10人が「美人だ」と答えるだろう正統派な綺麗さとでもいうのだろうか。 そんな人と、進藤はずっと一緒にいたんだな・・・。 saiはずっと男性だと思っていたけれど。 ふと、進藤は、彼女を、チェン・ツァイリンを好きになってしまうかもしれないと思った。 碁が強くて、綺麗で、進藤の忘れられない大切な人。 そんな人にそっくりな女性が現れたら、男のボクより、彼女を選びたくなっても不思議ではない。むしろ、自然なことだ。 「ど~した塔矢、許婚に見とれてるんか~?」 社がボクの目の前で手をヒラヒラさせる。 「許婚じゃないよ、さっき初めて会って、挨拶しかしてない」 「で、なんで進藤が馬に蹴られたことになってんだよ」 別に恋路を邪魔したわけではないのだが。 「チェン・ツァイリンが進藤の知り合いに似ているそうです。 それで懐かしくて、その、騒いだら、驚かれて引っ叩かれたんです」 「で、なんでオマエが殴るんだ?」 「・・・別に殴ったわけじゃ・・・」 言いかけて、ロビーの端に進藤が立っているのが目に入った。 その視線の先には、彼女がいた。 ・・・なんて、切なげで目で彼女を見つめるのだろう。 「噂をすれば進藤や。あ~あの目は彼女に惚れとるでぇ~間違いないわ」 ・・・確かに、誰が見ても、そう見えるだろう。ずっと、彼女を見ている。その先にいる、ボクのことなど気付きもせずに。 「知り合いって・・・何、忘れられない初恋の相手~とか元カノとかか? って進藤のガラじゃねえけど」 「進藤って女っ気なさそうやしな。なんやあんな顔似合わへんな」 「女っ気ないこたぁないぜ。進藤にはもったいない可愛い幼馴染の子がいるんだよ。 あの子は絶対進藤に惚れてるな!まあ、進藤はお子様だから 気付いてないっぽかったけど」 「そんなんおるんか!まあでも、実は何気に関西棋院で進藤って 女性棋士に人気あるんやで。実力はあるし、カワイイ~とか言われてなぁ」 「・・・そりゃこっちでもそうだけどさ」 二人がそんな話をしている隙にその場を離れた。 進藤を見ているのも、そんな話題を聞くのも、もう耐えられなかった。 レセプションでの日本代表挨拶をなんとか平静を装ってこなし、壇上を降りると、高永夏に声をかけられた。壇上では他の韓国の選手が代表挨拶をしている。彼は去年のことがあってはずされているようだ。 『対局は二回戦目になったな』 『そうですね。よろしくお願いします』 組み合わせ抽選の結果、日本は明日は中国と韓国、明後日は台湾の順に対局することになっていた。 『進藤、笑えるくらいチェンを見続けているな。なんだあれは?』 『貴方には関係ないでしょう!』 バカにしたような口調が許せなくて、つい、大声を出してしまうと、周りの何人かがこちらを見た。 『たしかに、オレには関係ないな。あんな、女に腑抜けになっている進藤なんて』 いちいち癇に障る男だ。 『進藤はそんな男じゃない』 『はいはい、大変だな、子供のお守も。 でも、あの顔見たら、オレじゃなくたってそう思うぜ?』 そう言って高永夏が視線を向けた先には、会場の後方の壁に寄りかかり、相変わらずチェン・ツァイリンを見つめている進藤の姿だった。 と、その進藤の表情が変わる。チェンが、進藤の方に歩み寄って行くのが見えた。 『おっと、修羅場かな?』 笑う高永夏を無視して、ボクはそちらへ向かった。 |
◆Hikaru-Side◆ 「なぜ、私を見てるのですか?」 佐為の顔で、聞きなれない声で話しかけられた。 近くで見ると、ホント、似てる。 生まれ変わり、なわけねェか、年がおかしいし。それとも今度は姿まで変えて取り憑くワザでも身に付けたのかなぁ・・・。 やっぱり、佐為じゃないなんて信じられない。 なあ、オレのこと怒ってて、それで、そんな変な芝居してるの? 「私の日本語、通じてますね?なぜ、答えないのですか?」 たどたどしいけど、丁寧な言葉遣いがますます佐為っぽい。 そう、いつも、綺麗な言葉で話してたっけ。 懐かしいなぁ・・・いなくなって、もう、丸2年も経つんだな。 でもオレ、忘れてないよ、オマエが「ヒカル」ってオレを呼ぶ声・・・。 「答えて下さい!」 違う、その声じゃない。オレが知ってるオマエの声は・・・! 耳を塞いで、その場にしゃがみ込んだ。 やめてくれ、その顔で、違う声でオレに話しかけないでくれ!オレの中に残っているアイツが消えてしまう。 「何なんですか貴方は!私は貴方に、そんな態度をされる覚えは・・・っ」 「ごめんなさい、進藤に悪気はないのです」 不意に間に割って入った声に顔をあげる。 哀しげな目をした塔矢がオレを見下ろしていたのは一瞬で、顔を背け、佐為の姿をしたヤツの腕を取って、オレから離れて行った。 オレを置いて、佐為と、行ってしまった。そんな風に、思えた。 |
◆Akira-Side◆ 進藤の姿が見えなくなるところまで歩いて、ボクはチェンの腕から手を放す。 『強引なことをしてすみません』 『・・・あの進藤とか言う人は、一体なんなのですか。人のことジロジロ見て、 行動もおかしいし、あんな人が日本代表選手なのですか!?』 『失礼はボクからも謝ります。ただ、理由だけは聞いて下さい』 『知っているならこちらこそ教えて欲しいです』 『貴方は・・・進藤が失った、とても大切な人に似ているのです』 『・・・・・・?』 『もう、会えないと思っていた大切な人に』 『そ・・・れは・・・・・・でも、私には、関係ない』 『そうですね。ですから、進藤に代わってボクが謝罪します。 彼は今、とても動揺している。落ち着いたら、彼からも謝罪させますから』 『・・・なぜ、貴方がそこまで?』 『・・・貴方にお願いしたいことがあるのです』 『お願い?』 『彼と打ってやって欲しい。たとえこの北斗杯で対局出来なくても、 どこか場を設けて、彼と打ってあげて下さい』 『なぜ』 『貴方と打てば、人違いだということを彼も受け入れることが出来るでしょうから』 『そうまでしなければ信じられないほどに似ているのですか?台湾人?』 『そういうわけではないのです。彼自身がまだ、その人を失ったことを 心の底から信じていないから、少しの希望にもすがりたくなっているんだと 思います』 『・・・はっきりいって、私にはそんなことに付き合う義理はありません。 私は、彼が怖いです、何をするかわからない』 『・・・そうですか。でもきっと、彼の碁を見たら、その気持ちは変わると思います』 『強いのですか?』 『ええ』 『塔矢行洋先生の息子が言うのですから、事実なのでしょうけれど、 明日、明後日の対局を見てから判断させてもらいます』 『・・・はい、それでかまいません。是非、打ってあげて下さい』 『・・・面白いですね』 『え?』 『貴方はあの塔矢先生の息子で、とても強いと聞いています。 その貴方がそんなにも庇う彼がどんな碁を打つのか・・・興味はあります。 この大会での貴方の碁も楽しみにさせてもらいます。 そして是非、私とも打って下さい』 そう言って、チェンは右手を差し出す。 細くて小さいその指は、碁石を持つもの特有の傷みがあった。 それでも女性らしい柔らかな手を握り返しながら、saiの指もこんな風だったのだろうかと、思った。 |
◆Hikaru-Side◆ 「お~い進藤大丈夫か~?」 いきなり肩を叩かれて、驚いて振り向くと呆れ顔の和谷と社がいた。 「大丈夫かって・・・何が」 「何がやないわ。そんな未練がましい目で二人のこと見とらんと、 あきらめて北斗杯に集中しぃや」 「べ、別に、そんなんじゃ・・・」 思わず顔を背ける。そんな、周りにわかるような顔してるのか、オレ。 「あきらめることねェよ進藤!あんなヤツに負けるんじゃねェ! 最後は正義と強いヤツが勝つって相場が決まってるんだ!」 「強いヤツが・・・」 「そう!勝って奪い取ってやれ進藤!」 強ければ、勝てれば、塔矢を取り戻せる?オレから離れていかない? でも、 「・・・無理だ、オレには勝つことなんて出来ない」 気付いたら走り出していた。和谷の呼ぶ声が聞こえたけれどそのまま走って、逃げた。 今のオレでは、佐為に勝てない。塔矢は行ってしまう、オレを置いて。 視界の端に、二人の姿が見えた。佐為の顔をしたヤツが差し出した手を握る塔矢。 たとえば同時にオレと佐為が手を差し伸べたら、アイツはどちらを取るだろうか。 自分で想像した結果に泣きたくなった。・・・バカみたいだ、オレ。 |
◆Akira-Side◆ 「おーい進藤、ちゃんと寝たのか?酷い顔してるぞ。 昨夜はレセプション会場からもいなくなっちゃうし、そんな自分勝手なこと ばっかりしてると、副将にだってしてやらないからな!」 北斗杯第一日目の朝、日本チームで集まって朝食を食べながら、進藤はあきらかに寝不足な顔をして倉田さんに怒られていた。 それでも、昨夜、レセプションを抜け出した彼の部屋のドアを何度叩いても反応がなかったことを考えれば、こうして皆と朝食を取っているだけましなのかもしれない。 「昨日、中国チームと会っておもろかったんやで~! 和谷サンそっくりなヤツがおってん!あれは笑ろたわ」 「ウルサイ!その話はもういい!」 和谷さんと社が昨日会った中国チームの楽平(レェピン)という選手の話題で騒いでいる中、隣りの進藤にそっと話しかける。 「・・・進藤、体調はどうだ?打てるか?」 「・・・ごちそうさま」 ボクの問いには答えず、ほとんど食事に手をつけていない状態で進藤は席を立ってしまう。追いかけようとすると、倉田さんに止められた。 「おい塔矢、どうしたんだよあれは~」 「塔矢、オマエ、あの台湾の子とはなんでもないんだろう? ちゃんと進藤に教えてやれよ。アイツ彼女に惚れちゃったみたいだし。 ま、でもアイツ昨日、オレが「勝って奪ってやれ!」って言ったら勝てないとか ぬかしやがったけど、塔矢から奪う気になったかな」 「ちゅーかホンマそんなに本気なんか」 「お~い、オマエらだけでなんの話してるんだよ~」 話題に乗れない倉田さんに、和谷さんが説明をするが、どうにも内容がボクと進藤で彼女を取り合っていることになっている。だが、誤解だと説明するにも進藤のあの態度では難しい。 「なんだなんだ、男のヤキモチはみっともないな~。 塔矢が碁でも恋でもライバルで、しかも負けそうだからってあんな態度とは まったく身勝手なヤツだ」 反論をしたくても、全てを説明することなど出来るわけもなく、ボクはため息をつく。 「妬いている対象が塔矢とは限らないと思うけど」 それまでまったく話題に入っていなかった越智が、ポツリとボクに言う。 言われた言葉の中身を理解して、とっさに反応出来ないでいると、 「自分以上に塔矢に相応しい相手が現れたから妬いてるんじゃないの?」 と、鼻で笑われる。 「おいおい、進藤がチェンに妬いてるって言うのかよ、気持ちわりィな」 「観察力の問題だろ」 和谷さんの言葉にそう返して素知らぬ顔でコーヒーを飲む越智。 「ど~でもいいけど、オマエら国際試合なんだからな。 そんな余計なこと考えずに気合い入れて自分がしっかり打てよ!」 倉田さんの言う通りだ。 余計なことを考えていてはボクが負ける。 醜い嫉妬に揺れる心で勝てる相手ではないのだから。 好きだと告げて、好きだと言われて。 想いが通じたと思っていた。 でもそれは、なんて弱く心許ない絆だったんだろう。 会場がざわめいた。 日本VS中国戦、大将のボクは昨年進藤が戦った王 世振(ワン シチェン)との対局だった。盤面はまだ中盤。優勢に局面を進めることが出来ていた。 右辺の攻めに転じようという石を置いた瞬間、ギャラリーから声が上がり、隣りの副将戦の場にバタバタと人が集まっていく。 終わった?もう? そう思ってそちらを見た瞬間、進藤の体がグラリと揺れ、そばにいたカメラマンにぶつかり、そのまま床へと崩れ落ちた。 「・・・進藤!」 ボクは思わず声をあげ、対局中だというのに彼の元へ駆け寄った。 「進藤、進藤!」 介抱しようとしていたカメラマンを押しのけ、進藤を抱き起こす。 青ざめた顔の進藤が、苦しそうに目を開ける。 「・・・わりぃ、ちょっと貧血、かも」 起き上がろうとするのを制しているところへ、倉田さんや大会関係者がやってきた。 「塔矢、対局へ戻れ」 倉田さんはそう言うとボクを進藤から引き剥がす。 「進藤、大丈夫か?」 「・・・対局が・・・」 「まったくオマエは毎回人騒がせだなあ」 「・・・ごめんなさい」 言いながら起き上がろうとするので、今度は腕を支えて立たせてやった。 「・・・戻れよ塔矢、対局中だろ」 ボクを見ることなくそう言って、進藤は倉田さんと共に行ってしまった。 自席に戻ろうとした時、足元に扇子が落ちているのが目に入る。 いつの頃からか、彼が対局中に持っている扇子だ。 ボクはそれを拾い上げ席に戻る。そして、いつも彼がしているようにその扇子を片手に、対局を続けた。 結局、この日の対局結果は、日本と韓国の勝利で終わった。 高永夏は相変わらずの強さを見せ、チェン・ツァイリンも今年初参戦している韓国の選手に勝利していた。 対局後のインタビューを終えると、チェン・ツァイリンが声をかけてきた。 『お互い勝てて良かったですね。チームとしては、私は負けてしまいましたが』 周りの人の視線がこちらに集まるのを感じた。ボクたち二人が話をしているという状況が、目立つのだろうか。 それだけ、父がチェン・ツァイリンの才能をかっていることが知られているのだろう。それに余計な噂も付随しているようだが。 『棋譜を見せてもらいました。父の言う通り、強いですね。 是非手合わせしてもたいたいです』 『ありがとうございます』 そう言って微笑む。綺麗な子だな、とあらためて思う。最近の日本人は彼女ぐらいの年齢でも化粧をしている子が多いが、そんな装飾など彼女には当分不要だろう。 『私が大将だったら北斗杯で対局出来たのですが。 実力だけなら負けてはいないと思うのですけど、やっぱりこういう世界は いまだに男性の方が優遇される』 そう言って彼女はあきらめの表情で苦笑した。そして、不意にボクを見つめて、 『進藤ヒカルは無様でしたね』 と冷たく言い切る。 『・・・体調管理もプロの務め。ますます貴方がなぜ彼を庇うのかがわからない』 『・・・確かに先程の彼はプロ失格です。でも、万全の状態の彼と打てば、 貴方にもボクの言葉の意味がわかると思います』 あくまでも意見を変えないボクに、小さく肩をすくめ、 『貴方の碁は噂どおり良い碁でした。 明日の韓国戦は高永夏との戦いになりそうですね。楽しみにさせてもらいます』 微笑んでそう言うと、軽く頭を下げて、去っていった。 「ったくチームとしては勝ったから良いようなものの、 オマエ、体調悪い原因は寝不足だろ! 自業自得だぞ!国際大会の日本代表なんだって少しは自覚しろ!」 進藤の部屋のチャイムを押すと、ドアを開けてくれたのは社で、和谷さんは進藤を説教中だった。 「お、塔矢、来たか。オマエ、ちゃんと進藤と話して、この状態なんとかさせろ! ・・・まあ、夕方からまた対局あるからほどほどにして少し休ませろよ」 そう言って立ち上がり、 「じゃあ進藤、韓国戦までには復活しろよ」 進藤の頭を軽く小突いてから、和谷さんは社と共に部屋を出て行った。 ベッドに横たわる彼に近付く。 ボクの接近に気付いているだろう彼は顔を背けたまま。 和谷さんが座っていた椅子に座ろうかと思ったが、なんとなくもっとそばに寄りたくなって、ベッドに腰かけた。 彼は何も言わない。ボクも、何も言えなかった。 しばらくそうしていたが、無意識のうちにボクの右手は彼の髪を撫でていた。 やっぱり、愛しいな、と思う。 もしかしたら彼がsaiかもしれないという思いはずっと持っていた。 でも、そうではなかったと知った今でも変わらない自分の気持ちに安心する。 『オマエがオレのこと好きでいる理由はもうないんだ!』 違うよ、進藤。 ・・・でも、いくらそんなことを言葉で言っても信じてもらえない気がした。 だってきっと進藤は、そうして当たり前のように信じていたものを失ったのだろうから。 |
◆Hikaru-Side◆ 失うことが怖いと思った。 気付かないうちに消えてしまう、そんな風になるくらいなら、自分からいなくなった方がマシだって思うのは卑怯だってわかっていたけど。 永遠なんてないって、オレは知ってる。 信じてたことがあっけなく消えてしまうことも知ってる。 知ってるのに、なんでまた手に入れたいなんて思ったんだろう。 オレには碁があるのに。碁を打ってさえいれば、佐為はオレの碁の中にいる、塔矢もそばにいる、それだけで良かったはずなのに。 オレの髪を撫でる塔矢の手が優しすぎて哀しくなった。 オレはその優しさに付け込んで、塔矢に酷いことしてる。 オレを好きだという塔矢に、オレは何をしてあげられた? ・・・違う「オレを」じゃないんだ、それもわかっていたのに、塔矢の気持ちを利用して、オレばかりが満たされようとしたんだ。 オレが髪に触れてアイツを思いだすたびに、塔矢が傷付いていたことなんか知らずに。 オレの髪を撫で続ける塔矢の手を振り払い起き上がる。 酷く久しぶりに見たような気がする塔矢の表情は静かで、何の感情も読み取れない。 ただ黙って、オレを見つめていた。 「・・・なんでだよ、なんでオレなんかにそんな優しくすんだよ! オレはっ!ずっとオマエを騙してた! オマエが好きになったのは佐為だって気付いてたのに、 佐為のこと思わせぶりして教えなかった。 それに、オマエの言うとおりオレはオマエに佐為の面影を見てた。 オマエに好きだって言われて、オレは・・・自分の気持ちもよくわからないうちから オマエを繋ぎ止めて・・・佐為がいなくなってポッカリ空いた穴を オマエで埋めたんだ。 ・・・オレは、最っ低なんだよ!オマエのこと利用し」 続けようとした言葉は塔矢の唇に遮られて、深く侵入してくるその熱さにさっきの眩暈が再発したかのようにぐらりと視界が揺れたけれど、それは力強い腕でベッドに倒されたからだった。 やめろとか、嫌だとか、言わなくちゃいけないって頭のどこかでは思っていたけれど、たぶん、心は違っていたから、体は思うように動いてくれなくて。 ろくな抵抗も出来ずに吸われ続けた唇は、解放された時には痛みすら感じたけれど、どこかに「はなれたくない」って思う自分がいるのもわかってた。 ・・・ったく、オレはどこまで自分勝手なんだろう。 塔矢に酷いこと言いながら、どこかでまだ甘えてるんだ。 「・・・saiともこんな風にしたかった?」 不意にそんなことを聞かれ、息が止まる。 「・・・・・・そ・・・んなこと、思ったこともねェよ・・・だってアイツは幽霊で」 「幽霊じゃなかったら?・・・チェン・ツァイリンがsaiだったら?」 「・・・な・・・に言って・・・アイツは・・・佐為じゃない」 「もしもの話をしているんだ」 「オレは・・・っ佐為相手にそんな風に思ったことねェよ!今までも、これからも!」 「・・・じゃあ、ボクは?」 「っ・・・・・・」 「saiが好きだったんだろう?ボクはsaiの代わりだったんだろう?」 一緒にいられて、いい碁が打てて。 ・・・そう、きっと、アイツの代わりにと、無意識に求めていたのはそんな関係だったのに。 「・・・進藤。たしかにボクが最初に好きになったのは、キミの中のsaiかもしれない。 その強さに憧れて、その強さに惹かれたんだ。 キミがsaiじゃないとわかって、がっかりしなかったって言ったら嘘になるけど。 でも、ボクだってsaiとこんなことがしたかったわけじゃない。 それなのに、なぜ、キミをこんなに求めてしまうんだろう。 なぜ、キミは・・・ボクを拒まなかった?」 なぜ?・・・なぜって。 だって、拒んだりしたら。 「・・・失いたくなかったからだよ・・・もう・・・二度と」 最初にあった感情は、好きとか、恋とか、そんなもんじゃなかった。 でも、塔矢だったから。 塔矢だったからオレは。 いつの間にか、オレは。 「オレは・・・ずっと・・・ずっと・・・オマエを追いかけて・・・走り続けて・・・ 手を伸ばして・・・オマエを捕まえたかった・・・。 そんなオマエに求められることが心地良くて・・・もっと求められたくて・・・。 触れられるたびに、オマエがここにいるって実感出来たんだ・・・」 優しい手がオレの頬に触れてくる。 払いのけても、もう一度。 「・・・泣くな」 「な・・・泣いてねェよ!」 言われて初めて、塔矢の指が涙を拭いていたことに気付いた。 塔矢の両手がオレの頬をそっと包み込んで、唇に、額に、涙の残る目尻に、ゆっくりと口付けられる。 知らず知らずのうちに、また涙が溢れて、止め処ないそれを、塔矢は何度も唇ですくった。 |
◆Akira-Side◆ 「・・・な・・・んで」 嗚咽の混ざった呟きに、ボクは動きを止める。 「なんで・・・オレ・・・こんなに弱いんだろ・・・っ」 涙を溜めた瞳で見つめられる。 「なんでオレ・・・オマエをこんなに好きになっちゃったんだろ・・・っ」 「・・・進・・藤・・・」 「なんでオマエ、オレなんか好きになったんだよっ オレ、弱くて、オマエを待たせてばっかりで、ずっと足引っ張ってるのにっ」 「キミは弱くなんかない!」 「弱いよ!他のヤツらだって思ってるさ、なんで塔矢アキラは進藤ヒカルなんかを ライバルだと思ってるんだって! 高永夏だって・・・あの・・・saiにそっくりなヤツだって・・・そうさ、もっと オマエに相応しい強さを持ったヤツがいるだろ!? いいかげん目ェ覚ませよ!」 「・・・本当に、いいのか?ボクが、高永夏やチェン・ツァイリンを選んでも?」 「っ・・・・・・」 「キミはそれを望むのか?」 「・・・オ・・・レは・・・」 浮かんでいた涙は閉じられた瞼によって溢れて零れ落ちる。 泣かせたくないのに、笑っていてほしいのに、それを、綺麗だと思ってしまうのはなぜだろう。 泣いているキミを見て思うのは、どうしようもないほどの愛しさと、そして。 「さっきからそんな風に自分を蔑んでばかりで、 だからボクに他の人間を選べだなんて、 それでボクが「はいそうですか」なんて言うとでも思ってるのか?! キミはボクのことが好きで?でもボクにはキミを好きになるなって?ふざけるな!」 溢れ出てしまったのは、怒り。 ボクが何よりも求めたのは、どんな時だってボクを追いかけ続けてきた彼の、ボクに挑む強い眼差し。泣いて甘えられれば征服欲を満たされるような気持ちにもなるけれど、ボクが本当に欲しいものはそんなものじゃない。 「・・・韓国戦、キミが大将をやれ」 「なっ・・・」 「倉田さんにはボクから話す。高永夏と戦え。キミはプロ棋士だろう、甘ったれるな。 あの高永夏の前でもそんな情けない顔をして打って、無様に負けて、 弱いから仕方ないと言って泣くつもりか? ボクだって昨日眠れなかった。気持ちだってものすごく動揺していたし、 最悪なコンディションだった。でも打った、そして勝った。プロ棋士だからだ」 「・・・塔矢・・・」 「立場や、性別や、他にもいろいろなことがあって、ボクらの未来には 約束された幸せなんてないってわかっていた。 だから、いつかはこんな風に苦しむ日がくるって思っていた。 きっとこの先だってあるだろう。いつかは誰かにボクのこの気持ちを 気付かれるかもしれないし、そうじゃなくてもいつまでも女性の影がなかったら 周りだって黙っていないだろう。 でも、ボクはキミを想う気持ちを変えるつもりはないし、 そのせいで碁が打てなくなるとか弱くなるとか言いたくないし言われたくない。 ・・・ボクは、キミに好きだと言ってもらえた時に、すべての覚悟を決めたんだ。 中途半端な気持ちでボクを好きだなんて言って惑わさないでくれ。 そんなことされるくらいなら片想いでいた方がずっとマシだ。 ボクは、キミを思うこの気持ちが世間一般の道から外れていることをわかってる。 だから、キミにボクの気持ちに応えるよう強いるつもりもない。 それでも・・・本当にボクを好きだと思ってくれるのなら、弱いからダメだなんて 言わないでくれ。キミが、ボクといるために強くなると言ってくれたのは、 ついこの間のことじゃないか・・・っ」 ボクのライバルと周りに認められるように、ボクに二度と背を向けられないように、強くなると言ってくれたのに。 sai。 その存在が一瞬にしてボクから彼を奪う。 ・・・でも。 もし、今ボクがキミを失って、 いつの日か新しい道を歩もうと思えた時に、 再びキミが目の前に現れたら、 ボクは、きっとその間の全てを捨てて、キミの元に戻ってしまう気がする。 進藤にとってのsaiも、きっとそんな相手なんだ。 仕方がない、と、妙に冷めた気持ちであきらめてしまいそうな自分がいた。 死んでしまった人との思い出には勝てないと誰かが言っていた。 ・・・たとえそうでも、今、キミのそばにいるのはボクなのだと、気付いてほしかった。 「・・・ボクを、失いたくないんだろう? ボクが・・・好きなんだろう?」 たとえそれが、saiの代わりだったとしても。 それでもボクは。 ボクを見つめる、赤く潤んだ瞳が切なげに細められて、溢れた涙が枕にたどり着いた時、ボクの首に腕を絡ませて引き寄せた耳元で、彼は小さく「・・・うん」と言った。 |
◆Hikaru-Side◆ 「・・・ボクを、失いたくないんだろう? ボクが・・・好きなんだろう?」 ・・・ああ、そうか。 結局、そうなんだ。 佐為とか、佐為にそっくりなヤツとか、高永夏とか、いろんなことがあって、いろいろ考えちゃうけど、結局、答えってそれしかないんだ。 こんなに苦しいのも、こんなに嬉しいのも、 オレが塔矢を好きで、塔矢がオレを好きだからなんだ。 泣きたくなるほど辛くて、でも、泣きたくなるほど幸せで。 何も知らないガキだった頃は、ただ前だけを向いて走っていけた。 失うことを知ってからは、立ち止まったり、後ろを振り返ったり、そうやって手に入れたものを失わないように考えて、それで、頭がいっぱいになっちゃったのかもしれない。 考えても考えてもどうにもならないことはあるのに。 明日突然事故で死ぬかもしれない。それくらい、不確かな世界で生きているのに、たった一つの、こんな簡単な答えから目を背けて、こんなにも失いたくないものを、自ら手放そうとするなんて。 『キミはボクのことが好きで?でもボクにはキミを好きになるなって?ふざけるな!』 ホントだ。何バカなこと言ってんだろ、オレ。 でも・・・怒鳴られてなんかホッとした。塔矢はオレの何もかも許して甘やかしてるわけじゃない。それは、対等に思ってくれてるってことだ。 お互いに、「佐為の代わり」なのかもしれない。 そうやってオレたちは互いを必要としているのかもしれない。 でも、それでも、いいのかもしれない。 オレはまだ塔矢に相応しいヤツになれてないけど。 怖くて、苦しくて、逃げ出したくなるけど。 そうやって頭で考えちゃうと、またグルグルと悩む気持ちが止まらなくなるけど、それでも結局、一緒にいたいんだ、オレ。 そんなオレでも、塔矢がオレを好きだって言ってくれるのなら。塔矢がオレを必要としてくれるのなら。 『・・・ボクを、失いたくないんだろう? ボクが・・・好きなんだろう?』 「・・・うん」 首にぶら下がるみたいに抱き寄せると、そのままオレに体重を預けた塔矢は、オレを腕枕する体勢でベッドに横になってオレを抱き締めた。 呼吸。体温。心臓の音。 塔矢がオレに与えてくれるもの。 佐為は今の塔矢よりも強かった。 そんなに強い人がそばにいたのに、オレはずっと塔矢を追いかけていた。 オレが塔矢に求めたものが碁の強さだけじゃないみたいに、塔矢も、オレに碁の強さ以外のものを求めてくれてる。 今さらなのかもしれないけど、抱き締めてくれる腕の温かさが、それをオレに実感させてくれたんだ。 |
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