(11.5.11)

まえがき。

このお話は東日本大震災から数日後、という設定です。
なんというか・・・大きな被害も受けなかった、
呑気な感じの視点なので、この時期にアップすることは
お叱りもあるかもしれません。

それを踏まえた上でお読みいただければと思います。
批判もあるかな、と思いますが、それも承知の上です。

タイトルの「幸せの底辺」は、わかる方はわかると思いますが、
震災後にラジオで某氏が言った言葉です。
詳細はあとがきにて。


内容はほんのりアキヒカ。健全です。




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「幸せの底辺」
「だぁーー!投了!負けました〜〜」
「集中力が足りないからだ。情けない」
「だぁってさぁ・・・。市河さーん、震度いくつだった?けっこうデカかったよね?」
 碁会所にはテレビがない。
 ヒカルは携帯で情報を確認していた市河に声をかける。
「震度3だって」
「あれで3!?このビル、大丈夫なのか?」
「父に聞いたけど3年前に耐震工事してるそうだよ。
 地震の後もちゃんと調べてもらったし。まァ、完全に安全なところなんてないけど」
「そうだよな〜。舞空術とか取得しときゃよかったぜ」
「ぶくうじゅつ?」
 アキラが首を傾げる。
「空飛べてもねェ。家自体が浮けばいいけど」
 意外や意外、市河から反応があったことにヒカルは驚く。
「へぇ〜市河さん、ドラゴンボール知ってるんだ?」
「進藤君たちより私たちの方がリアルタイムで楽しんだ世代よ。
 あの時代の子供なら、知らない人の方が少ないんじゃないかしら」
「今でもそーだけど。・・・まあ、一部を除いては」
 アニメや漫画の話はまったく通じないアキラに目を向ける。
 ドラえもんやサザエさんぐらいだ、アキラに通じるのは。(そんな話題で話すこともないが)
「カメハメ波ぐらいなら知ってる」
 ブスッとした声で答えるアキラに、
「お〜〜優秀優秀〜」
 パチパチパチとわざとらしくヒカルが手を叩いてやると、アキラはムッと眉を寄せたが、最近はさすがにそれぐらいでつっかかってくることもない。
「11日は二人はどこにいたの?」
 東日本大震災の日。市河自身は碁会所にいて、碁石が落ちて散らばって大変だったという話はさきほど聞いていた。
「塔矢んちで碁を打ってた」
「うん。進藤ってば地震の時、怖くてボクにしがみついてきたんだよ」
 先程のバカにされた仕返しとばかりにアキラが暴露する。
「ばっ・・・!違っ!オマエが「今、良い手が思いつきそうなんだ」
 とか言っちゃって逃げようとしないから腕掴んだだけだろ!」
 いや、本当は、本当にしがみついたのだけど。
「市河さん、コイツ、周りが避難していなくなっても一人で碁盤の前から
 動かねェよ、絶対!」
「そうなったら進藤君が助けてあげてね」
 市河ににっこりと微笑まれて。
「知らねェよ、塔矢なんか置いて逃げるよ」
 ヒカルの言葉に、市河は「そう」とこれまた笑顔で答える。
(・・見透かされてるし・・・)
 アキラを一人置いて、逃げるわけがない。
 しかし、「ああ、オレが助けるよ」なんて素直に言えるわけもなく。
 ヒカルが言葉に詰まっていると、
「市ちゃ〜ん、お客さん!」
「は〜い!」
 常連客の知らせに、市河は慌てて受付に戻っていった。
「大丈夫、キミがパニックになっても、ボクが助けてあげるから」
「いや、だから、パニックになってねェし!」
(しまった〜上から目線って手があったか・・・)
 ニッコリ笑ってそう言ったアキラに内心そう思いながら反論はしたけれど、実際あの日、一緒にいたのがアキラで良かったとも思っていた。
 家が心配だからと慌てて帰ろうとしたヒカルを引き留めて、電車の運行状況を調べたり、携帯が全然繋がらないと嘆いていたら、固定電話の方が繋がりやすいかもしれないと家の電話を貸してくれたり。あの日、一人で外出中だったら、電車は止まっていて家には帰れないし、連絡はつかないしで、それこそパニックになっていたかもしれない。
「それにしてもさ〜、なんか、考えちゃうよな、こうやって碁を打ってられるのって、
 すっごい幸せなことだったんだなぁって」
 ヒカルは手を頭の上で組んで伸びをする。
 いくつかの碁の催し物は中止になったけれど、地震の翌週には通常通り手合もあった。
 ヒカルが受けた被害など、振り返ってみれば震災当日に帰宅できなかったことぐらいだ。
 それもアキラの家に泊まるというよくある事態になっただけで、被害ともいえない。
 ヒカル自身にはあっという間に戻ってきた、日常。
「幸せ・・・か」
 てっきり同意してくれると思ったアキラのつれない反応にヒカルは首を傾げる。
「塔矢は碁が打てるだけじゃ幸せじゃない?」
「いや、幸せだと思うよ。でも・・・うん・・・そうだな、幸せかな」
「なんだよ、はっきりしないな」
「うん・・・幸せの底辺ってなんだろうって・・・最近考えてたから」
「テーヘン?」
「底辺×高さ÷2の底辺!三角形の面積の公式の」
「あー、えー、で、幸せの面積がなんだって?」
「違う!幸せの底辺・・・つまり、幸せだと思える最低限のライン、かな」
「どこから自分は幸せだって思えるかってこと?」
「そう。たしかにね、今はほんの些細なことだって、幸せだって感じられるけど、
 本当に心の底から幸せだと思えるのは、どういう状況からかなって・・・。
 小さな幸せでも満足したいけれど、でも、小さければ良いわけじゃないとも思うし」
 テレビや新聞で、被災された方たちが、普段なら当たり前すぎてなんでもないことにも「幸せ」と口にするのを見るたびに考えてしまう。
 幸せという言葉の意味を。そう口にする、その裏に秘めた苦しみを。
 「幸せです」と言われて、「良かったですね」と単純に祝福出来ない事があるという重さを。
「で・・・オマエは結局碁を打てるってだけじゃダメなんだろ?
 じゃあ、どこからが幸せって考えたんだ?」
「いや、幸せではあるんだけどね。ちょっと、昔を思い出して」
「昔って?」
「キミに会う前は、ただプロになって、父のようになって、父を超えたいって考えてた。
 それだけで充分、充実してると思ったし、それ以上なんてないと思ってた。
 あの頃はたしかに、碁を打てるだけで幸せだったな」
「・・・オレに会った後は?」
「キミに出会って、ライバルがいるということの素晴らしさを知ってしまったからね。
 キミが再びボクの前にライバルとして現れるまでの日々は、
 どうして今まではそれで満足出来てたんだろうって思うくらい、
 物足りない日々だったよ。
 まあ・・・でも、それも贅沢なことだよね。うん、碁が打てるだけで、幸せだ」
 自分を納得させるように繰り返し小さく頷くアキラに、
「別に自分の幸せなんだから、贅沢とか他人と比べてどうとか、そんなの関係ねェだろ。
 オマエがオレと碁を打つなんて贅沢だっていって打たないからって
 誰のためになるんだよ。皆が幸せになるの我慢したって
 誰かの幸せになんかならねェだろ」
 そう言ってヒカルは碁石を一つ掴んだ。
 明日消えてしまうかもしれない。
 それは、誰にでも、必ず起こること。
 いなくなるなんて、思いもしなかった。そう訴えられていたのに信じもしなかった。
 あの頃の自分は、明日がくることは決して当たり前のことではないと知らなかった。
 今はそれを知っているから、同じ後悔はもうしたくない。
 彼が消えてしまったあの日、自分が代わりに消えれば良かったと本気で思ったけれど。
 それでも今こうして生きている。彼の望みと共に。
「キミがそんなこと考えてたなんて意外だ」
「なんで?オレは幸せになりたいの!ワガママで自分勝手で、オレらしいじゃん」
「自覚があったのか」
「うるせーよ。ワガママも自分勝手もオマエには負けるけど」
「なんだと?・・・いや、そうじゃなくて・・・意外っていうのは、
 キミも真面目に考えることがあるんだなって」
「もっと失礼だろ、それ!」
 口を尖らすヒカルを笑いながらアキラは思う。
 たしかに、自分が幸せを我慢することが誰かのためになるなんて、思い上がりかもしれない。
 もちろん、買占めをしないとか節電をするとか、必要な我慢もあるけれど。
 自分たちの仕事は、「生きるためにどうしても必要なもの」ではない。
 人々が幸せで、ゆとりがあって、初めて必要とされる、娯楽の部類だ。
 碁で幸せを求めることを自粛するなんて、自分の職を否定するようなものだ。
 碁を人々が求めるような世の中にすることが、自分の役目でもあるのだ。
 我慢より、自粛より、しなければならないこと、出来ることもある。
「結局さ、オマエは、オレと打てないなら幸せじゃないってことなんだろ?」
 いーじゃん、それでさ。オマエがその幸せ求めても誰も文句言わねェよ。
 オレだってやっぱり、碁が打てるってだけじゃ、心から幸せとは言えないしな」
 指先に挟んだ碁石でアキラを指して大きく頷くヒカルに、内心アキラは苦笑する。
 オレがいなかったら、幸せじゃないなんて断言されてしまった。
 まるでプロポーズみたいだと言ったら、真っ赤になって怒るだろうか。
 そんなことを考えながら、アキラは手を下ろして盤上の石を片付け始めるヒカルを見つめる。
 ヒカルも、そうだろうか。自分といることが、ヒカルの幸せだろうか。
「キミと碁が打てる・・・それが、ボクの幸せの底辺、か」
「そ。オマエの幸せはオレありき!感謝しろよ!
 ・・・ん?いやまてよ、テーヘン?「最高の幸せ」じゃね?
 オレと碁が打てる、それ以上の幸せがオマエにあるか?」
「・・・どこから出てくるんだ、その自信」
「だってオマエ、オレと打ってる時が一番生き生きしてるもん」
 当たり前のように断言される。
「テーヘンが最高の幸せなんて、常に超幸せってことじゃん!いいな〜」
「・・・キミは?」
 ヒカルの言葉は、悔しいけどその通りだと思えた。
 けれどヒカルに「キミもだろう?」とは言えなかった。
 ヒカルの世界は自分よりもずっと広いから。
「オレは〜美味いラーメンがあったら超幸せ!」
 ニッコリとそんなことを言われて。
「・・・ボクはラーメン以下か」
 思わず睨みつけると、
「テーヘンは幸せだと思える最初のラインなんだろ?
 テーヘンがなかったら、その上なんてないんじゃねェの?
 オマエと打てる幸せはテーヘン、そんで美味いラーメンがあったら超幸せ」
 ヒカルは笑顔のまま、アキラを真っ直ぐ見つめてそう言った。
「・・・キミの幸せもボクありきってことか」
「・・・や・・・なんつーか・・・まぁ、なんだ、もう一回打つか」
 急に気恥ずかしくなったらしいヒカルは、慌ただしく白石をニギる。
 結果、アキラが黒番となった。
「よし、美味いラーメンを食べるより幸せだと思わせてやる」
 アキラは早速パチンと音を立てて初手を打ち、顔を上げるとヒカルと目が合った。
 この瞬間が、やっぱり一番幸せだと思ったのは自分だけではないと、ヒカルの笑顔を見て思う。
 そんなアキラの思いが伝わったのか、ヒカルは白石を掴んで頷いた。
「・・・ああ。望むところだ!」














あとがき。 私の仕事も、人々が豊かじゃないと成り立たない仕事です。 震災後は、営業することにより相当なクレームを毎日受けました。 計画停電していた時期はピークでしたね。 営業しているだけで「非国民」と言われました。 仕事で某ゲーム業界の人と話す機会があって、その人が、 「九州のゲームセンターに対してまで 「節電のために営業を中止しろ」って苦情の電話もある」 とおっしゃってました。 「電気をもっと消せ!」という声に照明を減らしたら、 目の不自由な方が「暗くて見えなかった」と転んで 怪我をしてしまいました。 私たちには充分でも、暗いと感じる人もいるのです。 私は去年、大きな病気をしました。 食事も満足に出来ない時期が半年も続いたので、 その間、家族は外食にも行けませんでした。 もちろん、私は、私のことなんか気にしないで 食べに行って、と言いましたが、 そういうわけにもいかなかったのでしょう。 そんな不自由や心配を家族にかけることが 病気よりも辛かった。 同情してほしい、という気持ちもどこかにはあるけれど。 自分のために、誰かに我慢をさせるのは辛いことだと思いました。 「贅沢は敵だ」という風潮はまだあるかもしれませんが、 私は、余裕のある人間は、たくさん買い物をして、 遊んで、出かけて、経済を循環させることも 復興への道だと思います。そんなお金があるなら被災地へ、 という考えもあるかもしれませんが、 お金だけが動くのではダメだと思うのです。 もちろん、震災直後はお金を送るというのが 効果的だったと思いますが、これからはそれ以上に 生産する人、運ぶ人、売る人、買う人、 物が循環することによって、雇用が生まれて、 税金が納められる、それが大切になってくると思います。 皆が自粛していたら、復興するどころか悪くなるばかりです。 先日、井山名人が十段のタイトルを奪取したというニュースがありました。 しかし、賞金が下がって十段はタイトルとしてのランクが4番から6番に なったそうで。 ヒカルやアキラがリアルに存在していたら、 こういう世情の中、碁を打っていかなければ ならないんですよね。 ヒカル達にとっては職業ですが、見る側にすれば 囲碁は娯楽です。こういう情勢の中で、真っ先に 切られるのは娯楽ですが、娯楽を与えることを 糧とする人はいるし、その人たちに 「今はそんな場合じゃない」と非難するのは どうかと思います。ディズニーが営業して 何が悪い!去年、チケット当たってまだ行ってないから 近々遊びに行く予定。 友達も、同僚の旦那さんも働いてるしね。 皆、生活がかかってるんだよ! ・・・とまあ、そんなことを考えている人間が 書いた話です。ヒカルに代わりにワガママなこと言わせて すみません。 そうそう、「幸せの底辺」という言葉ですが、 これは、堂本光一さんが震災後に放送された ラジオで言った言葉です。 震災前の当たり前だったような生活というもの、 改めて、幸せの底辺というものは何だったのかなというようなことを 考えさせられる日々でもある と語っていました。 とても印象深かったので、今回、使わせてもらいました。 皆さんの幸せの底辺はなんですか? 私は何かなあ・・・。
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