-3- (・・・・・・・・・コイツ、強い) さんざん言い合ったあげく、金銭がらみなくヒカルとトオルは一局だけ打つことになった。 黒がヒカル、白がトオル。 絶対に負かしてやる!と意気込んで打ち始めたヒカルだが、中盤になっても形勢はほぼ互角だった。 トオルの石の運びは自分に似ているとヒカルは分析していた。 遥か先まで読まないと意図が読めないような、一見失着かと思える一手を打ってくる。その誘いに乗ると、後で鮮やかに逆転されてしまうような。 トオルも、ヒカルの誘いに簡単にのってこない。 話している時のノリからは想像も出来ないような、冷静な碁を打つ。 (面白い・・・!) この手ごたえ、塔矢アキラ並と言っても過言ではないかもしれない。 わくわくする。 しばらく低段者としか対局していないヒカルにとって、この手ごたえはたまらない。これでもかと一手を繰り出していった。 (ここはコスんだ方がいいかな? うん、あそこの白をつぶすためにはここから・・・) ヒカルの、普段碁以外には使用されないといってもいい頭脳はフル回転していた。 金のために碁を打つというトオルが気に食わないという気持ちもたしかにあるが、今はただ、トオルの強さが嬉しいと感じてしまう。 盤面はヒカルが3目リードしていた。 このままヨセに入ればおそらく勝てる。 けれど、右下の黒にはまだ不安な要素がある。 トオルはどう打ってくるか。 ここをかわせるだけの強さがトオルにあるのか。 そんなトオルをさらに迎え撃てるだけの力が自分にあるのか。 ヒカルの心臓は高鳴っていた。 この面白さは、やはり金にはかえられない。 盤面に夢中になっていたヒカルは、トオルが発した言葉がまるで耳に入っていなかった。 (次は、次はどこに打つ!?) トオルの次の手を今か今かと思っていたヒカルは、ギャラリーがざわざわし始めたのに気付き、うるさいなーと顔をあげて、とりあえず正面にいた北島をにらむ。 「静かにしてよ!」 ヒカルは対局中に集中をとくことはほとんどない。 けれどさすがにこの状況は騒がしすぎた。 「静かにしろってこれが黙っていられるか!」 「なんでだよ?」 そう言ったヒカルの耳に、トオルの苦笑が聞こえた。 「すっごい集中力だね。 聞こえなかったの?」 トオルがあきれたようにそう言った。 「だから何が」 「『負けました』って言ったんだよ」 「・・・・・・え?」 「負けました。 投了です。 ヒカルちゃん、強いねえ」 白石を片付けようとするトオルの腕をヒカルは慌ててつかんだ。 「投了!? なんで!!まだ、ここからだろ!?」 まだトオルにも逆転する余地はある。 いや、もちろん逆転させるつもりはないが。 トオルの腕はここであきらめるようなものではない。 ここから先に続く石の流れを、ヒカルはもっと見たい。 「だってヒカルちゃんホント強いからさ〜オレびっくり。 塔矢アキラはもっと強いのか?会うのが楽しみだ」 「だから!なんで投了なんだよ! オマエも強いじゃねえか!オマエの腕ならこの局面、 まだ勝負ついてないだろ!」 「んーたしかにねー。 でも、オレ、金にならない碁にこれ以上力使いたくないし」 そんな台詞を笑顔で言われて、ヒカルは瞬間的に胸に沸き起こった感情が、怒りなのか哀しさなのかわからなかった。 「こんなに打てるのに・・・やっぱり金のためなのか?」 「こんなに打てるから、金のためなんだってば。 タイトル、狙えそうな腕だろ?オレ」 トオルの言葉は真実だ。この力はタイトルを狙うといっても冗談にはならない強さ。 「オレは・・・!この続きが気になる! オマエともっと打ちてえよ! 打とうぜ!最後まで!」 碁が好きだと思った。 金のためだと言われて怒り、哀しくなるほどに。 タイトルは欲しい。 けれど、それよりも、今この碁の続きが打ちたいように、タイトルやお金よりも大切なものがヒカルにはあった。 「この続きは公式手合で。 ・・・対局料も入るしね」 トオルは、邪気のない笑顔で席を立った。 「ヒカルちゃんのお願いで対局してあげたんだから 石、片付けておいてね。 では、また来年?再来年?にでも公式手合でお会いしましょう」 そう言ってトオルはカーテンコールに出た役者のように一礼した。 「待てよ!」 「バイバイ」 ヒカルが止めようと伸ばした手を優雅にかわして、トオルは軽い足取りで碁会所を出て行った。 あとに残されたのは、呆然とするヒカル。 そして、トオルとヒカルが打った盤面だけだった。 「ってゆーわけのわからないヤツが来たんだよ! ったく金のため金のためってアイツ・・・」 翌日。 碁会所でヒカルはアキラに昨日の藤間トオルとの対局を並べて見せていた。 昨日のトオルとの会話のやりとりを一気にアキラに説明していたヒカルは、アキラの複雑微妙な顔に言葉を止めた。 「・・・なんだよ、その顔」 「・・・いや。 囲碁のプロが儲かると聞いて、ちょっとプロになって ちょこちょこっとタイトルのひとつふたつ取るのも悪くない と言っていた人間の台詞とは思えないな、と思って」 「う」 そういえば、アキラに出会ったばかりの、自分では全然碁が打てなかった頃、そんなことを言ったような。 「・・・オマエってけっこう根にもつタイプだろ」 「キミがすぐにいろいろと忘れてしまうだけじゃないのか?」 「なんだとこの」 「でも」 言い返そうとしたヒカルをアキラは制する。 「キミがお金のためにプロになったんじゃないってことは嬉しいよ」 にこりともせずアキラは言った。が、ふだんアキラの口からそんな台詞を聞いたことがないヒカルはその言葉に嬉しくなる。 「なあ、塔矢はなんでプロになろうと思ったんだ? やっぱり最初は塔矢先生に後を継げとか言われたのか?」 「囲碁は世襲制じゃないだろう」 アキラは苦笑する。 「もちろん、碁をはじめたきっかけは父だよ。 けれど、碁を好きになったのは自分の意志だ。 プロになって、父のように囲碁界の上に立って 後に続く者を引っ張っていこうと思った。 父のように、なりたかった」 (そう決意した小六の冬のあの日。 キミに出会ってずいぶん遠回りをしたけれど) ヒカルの強さに翻弄されて、自分の道にはじめて迷いを感じた。 「進藤は?」 「え?」 「お金のためじゃなくなったんだろう? どうしてプロに?」 「それは・・・」 オマエの後を追ってきたんだ、とはさすがに面と向かっては恥ずかしくて言えなかった。トオルに言った「神の一手を極めるため」という理由も、自分の碁をずっと見ているアキラに対する答えとは違う気がした。 「・・・なんか・・・わかんねえや。 ひたすら真っ直ぐ突き進んだら、プロになってたって感じ。 神の一手を極めるまでの道をさ、ず〜〜っと進んで行く途中にある 通過点みたいなものなのかな、プロになるのも、タイトルも」 そう言ってヒカルは石を見つめた。 「オレ、昨日藤間に言われて初めて思った。 オレの「職業」なんだな囲碁って。 夢中になって進んできたから、そんなこと考えたこともなかった。 お父さんが会社で働いてるみたいにさ、オレはこうやって ずっと碁を打って、それで生活していくんだなあって。 なんか、不思議な感じ」 「後悔してる?」 「!まさか!」 なぜアキラがそんなことを言うのかヒカルはわからなかった。 アキラにしてみればヒカルを碁の世界に引っ張り込んだのは自分の影響が大きいだろうから、大げさにいえばヒカルの人生を決めてしまったことにたいして悔やんでいてほしくないという気持ちがあった。 「自分の好きなものを職業に出来る人間は、幸せだとボクは思う。 好きなものを職にして、それで苦しむことがあってもね」 苦しみの果てに手に入れたいものがある。 それは、ただ趣味で続けていくだけでは手に入らないもの。 「・・・昨日、藤間に言われた。 幸せなんだね、って」 そう言った時のトオルの微笑をヒカルは思い出していた。 「・・・ここで、その藤間くんは投了してきたのか?」 ヒカルが並べ終えた石を見てアキラが問う。 「え?あ、そうなんだ。投了するところじゃねえよなあ?」 「強いんだね、彼は」 「・・・ああ。 倉田さんが言ってた。『自分にとって本当にコワイ奴は 下から来る』って。今年のプロ試験、伊角さんも受かったし 藤間もいるし、オレも追いかけられる立場になるんだな。 今まではオマエを追いかけてただけだけどさ。 でもオレ、だからもっと強くなれる気がする。 強くなる」 ヒカルは石を持つ右手を握り締める。 追いかけて、追い越して、また追い越されて。 きっと終わりなんてない。 真っ直ぐに進むだけ。 「この続き、ボクが打とう」 「え?」 「逆転出来るか微妙なところだけど、面白そうだ」 「・・・よし!やれるもんならやってみろ!」 ヒカルは白石の入った碁笥をアキラに渡した。 アキラと打ちながらヒカルは思う。 こんな風にアキラと打つためにプロになって、あの時はただそれだけのためだったけれど、目指すものとか、これからの人生とか、いろいろなものがいつのまにか碁を中心にして決まりつつある。 藤間トオルは、お金お金と言っていたけれど、あれだけの碁を打つからにはやはり自分と同じように真剣に碁を勉強しているはずなのだ。たぶんトオルは、自分より少し大人で、人生について考えたりしているのだろう。 ヒカルには今はまだ正直なところ、碁は『職業』というよりは『夢中になれるもの』だ。 けれど間違いなくこれから先、碁は職業となり、自分の生活のための収入源となる。 すべてにおいて、自分の生きていく糧。 自分から碁を取ったら何も残らないかもしれないという漠然とした不安もあるけれど。 たとえ力の限界がきて勝てなくなる日がくるとしても。 逃げられない。 逃げはしない。 ずっと歩く。 この道を。 余談だが。 藤間トオルが『父親が死んで兄弟五人を・・・』と話した身の上話が事実だったということをヒカルが知るのは、少し後の話である。 END
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あとがき 私、バリバリのOLなのですよ。 なんのために働いているかというと、 お金のためです(キッパリ) ちゃんと働いて、ちゃんと税金納めて 稼いだお金で誰にも文句言われることなく 自分の思うがままに消費するのが 人生の潤いです。 なので、藤間トオルくんは、 お金のために働く人間にしました。 ヒカルの碁を見ていると思うのですよ。 ヒカルもアキラもあまり収入源として 碁を考えていないなって。 まあ、まだ中学生だということもありますけど、 よく考えてみれば中学生で生涯の職業を決めた ってことじゃないですか。 私、中学生の時なんて何して働くか考えてなかったな〜。 (絶対就職するとは決めていたけど) 和谷なんかは『記録係の仕事増やして部屋代・・・』 とか唯一生活チックなこと言ってますけど、 他の人たちは棋士の高みだ神の一手だ、って 皆夢追い人、男の浪漫。 それはそれで『夢を追いかける人って素敵!』 ということになるわけですけど、 当然働くということは夢だけではないわけで。 なんか、そういうことをちょっと書きたくて こんな感じになりました。 きっと私は、自分が現実のために働いているから 夢を追いかけてるヒカルやアキラがとても好き なんでしょうね。
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